感情

ブログを何度か書こうとしたのだけれど何せ誰かに見られるのは明確だ。

それを誰かに見られたら、正確には誰、というのがあるのだけれど、それを見られるのが怖くて書くのを辞めていた。

私の言葉が誰を傷つけるのが怖かった。もっと言えば、傷つけて、嫌われるのが怖かったんだろうと思う。

私の中にある感情と、それから「常識」みたいなものが傷つけあっている。「常識」が、本当に常識であるかという議論は置いておく。正直あまり必要無い。本当にそうであれ無かれ、私はそれを常識としか認識出来ないからだ。

 

なので、ちょっと疲れた。

 

その詳細は置いておく、自分のせいかな、と誰かに思われる(この誰かは当人当人以外含む)のが怖くて書かない事で更に精神がすり減る感覚があったから書けないでいた。もう、別に思ってくれても構わない。

誰のせいだとかなんのせいだとか、理由をつけようと思えば幾らでも付けられるのだ。

ただ、この場合そんな事は無意味なだけで。

 

私は私の感情に鈍い。

何故怒ってるのか、怒ってるのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、分からない時がある。

家族に指摘されて、嗚呼私怒ってる?とやっと認識する程度な事も多い。

その場合勿論家族は何で怒ってるのか分からない。私も分からない。ただ、機嫌が悪い。

それは、今思えば昔からで誰かに何かを言われてから感情を押し殺したとかそんなのは無い。元々、そういう所が未発達なのだろう。

 

だから急にキレる。実はこれは急にキレてる訳ではなく、段階を踏んでイライラ度が上がっているのだ。それは誰か一人からのストレスな事は基本的に少ない。

自分のミスからの自己嫌悪や、フラッシュバック、それだけでなく何人かからの発言や行動によるストレス、板挟み、等の幾つかの要因が重なってキレる。

でも自分でもどれほどそれがストレスなのか、自分がどれほど苦しいのかが分からないからコントロールは出来ない。

只管ストレスを溜め込んでは一定数になるとキレるだけだ。

 

で、キレた。突然唐突に、真夜中恋人が寝た後にキレた。本当に唐突に。恋人に何かを言われたわけでも無いし、誰かと話していた訳でも無かったのに、色々な出来事や言葉が飛び交って何も考えられなくなって思考の渦に飲まれた。

助けて、と誰にも言わなかったのは誰かに言うのをプライドが許さなかったのではなく、如何助けて欲しいのか、何をして欲しいのか分から無かったからでもある。

その場で恋人に何も言わなかったのは、寝てるのを起こしては悪いというこれまた囚われた「常識」と、それからそんな自分を見られたくないと言う意地だろう。

まぁ結局その「常識」は助けて欲しいという感情とぶつかって私を更に苦しめるだけなのだけれど。

 

休みたい。如何休みたいのかもわからない。

それは甘えたいとイコールだろうか?

話しかけてほしくないとイコールだろうか?

寝て起きたいとイコールだろうか?

好きな事がしたいとイコールだろうか?

感情を顕にしたいとイコールだろうか?

 

分からない、ただ休息が欲しい。

でも大事なものを失うくらいなら、と言う気持ちが残っているからまだ私は何も出来ないかもしれない。人間辞めたい。