幸せな世界

人生なんてものは本の少しの親切と、本の少しの努力…残りは全部運で出来ている。


傍観者である事に意味は無い。何故なら傍観というのは一つの選択であるからだ。

きっと、この世の選択には選択をするか、しないか。という選択さえ存在するのだろう。
私は、常に全力だった。常に全力で選択をした。でも失敗した、苦しんだ、壊れた。後悔はしていなかった。理由は、自分自身が自分を愛せたからだと思う。私は全力で選択をした自分が好きだった。人を救えなかったと心から悲しめる自分が好きだった。
今の私は、救えない、どうしようも無いと分かってしまう。そして、きっと手を離すのだ。そんな自分が嫌だった。そんな自分が愛せなかった。
酷く、身勝手だと思う。でもその身勝手に一番迷惑してるのも私だから、出来たら許して欲しい。
それでも、不思議と昔の自分も今の自分も、誰かに愛されている。世界は優しさに溢れている、とは言わないが私の周りは十分に優しい人がいると思う。

私は今でも苦しんでいた、今の私は困ってる人に手を差し伸べることを偽善だと自覚していた。でも、それを偽善だと分かってても助けたいと思ってしまった。
でも理性のどこかで、私か感情移入して壊れちゃうからやめろって制止が掛かる。

それを、進化というのか退化というのか私は知らない。
でも、こうやって人に無関心になって面倒事を空気のように扱えるようになって行くのが大人になるって事なら、なりたくなかった。
その方が楽なのかもしれないけど、そんなの嫌だった。

人は、誰かを蹴落とさければ生きていけないのだろうか
人は、誰かに必要とされなければ生きていけないのだろうか

何故こんなにも人は苦しまなければいけないのだろうか

幸せの代償がこんなにも大きいのなら本当に何もいらなかった。
私も、世界も、生まれてくる必要なんてなかった。

誰だって同じくらい優しくて、同じくらい狡くて、同じくらい可哀想なんだと信じてるから、人と人が争う姿を見るのが嫌になる。
全部から目を背けて興味のない振りをして関係ないを言い訳にしたら楽になれるのに。なのに心のどこかで変えられたかも知れないを捨てきれないで苦しむ。

誰がって辛かったら人を羨んで憎んでしまう、そしてそういう人ほどそんな自分を嫌ってるんじゃないかな。ああ、また壊れかけてるのか。世界の崩壊まで後少し、きっと赤い鳥が飛んでくる