有給

フリルでの売上金額がそろそろ1万円に到達しそうになっていた。
嗚呼、もうそんなに溜まったのか…と思いそろそろ何処かへ行きたいなと思い出した。遠出がしたいのだ。でも、私一人だとそれこそ片道切符に全てのお金を費やして帰って来れなくしてしまうのではないか、何て。だって、如何したって私は暴走癖が抜けないからなぁ。
まぁ、もう少し貯めたら東京の片道位にはなるだろう。
が、行く事は無いんだろうと思う。余程でない限り少なくとも友人関係では対等でいたい願望がある為、金銭面的な負担はしない心算だ。同じ理由で愛知にも行くことは無い気がする。行くなら必ず片道負担をしてもらって、と言う心算だし、来てもらう時だってその心算だ。さて、死ぬなら何処が1番相応しいのやら。否、死ぬ心算は無い。もう少ししたら変わるかも知れないが、なんせ、なんせ、今回の旅行でその気は毛頭ないのだ。
ただ、余り遠いと移動時間が掛かるため恐らく近場になるのだろう。海を見たい気持ちもある。1人で海を見て、いたい気がする。恋人はいない。私に愛を語る相手も綺麗な景色を共に見たい相手も居ないのだ。因みにみゆさんとは食べ歩きがしたい。切実に。
ああ、でも恋人がいればそいつのところに飛んで行くかもしれない。でも欲しいとは思わない。今は、この時間が愛おしい。一人でいる事が、楽だ。ラーメンでも食べに行きたいな、と思っている。ラーメンが、食べたい。でもラーメンは一人で食べたくない。出来たら誰かと、なんて。、

嗚呼、時計を返してもらわなかったから時計がない。腕時計を誕生日プレゼントにくれる人がいたらいいな、なんて、数百円のものでもいいのだ。誰かから貰えるということが嬉しいのだ。買ってもらわなくても選んでくれればそれを気に入って使うだろうからなぁ。

今朝は本当に体が怠く、何もする気に成れなかった。私と云う人間は多分、気紛れに本当に気紛れに生きているのでは無いだろうか。
私は基本的に欲しい物に大しての手段を選ばない節がある。自分でも其の自覚はある。手段と言うのは、法に触れる様な事こそしないが自分に損害のある事でも自分が我慢し、尻拭いをすれば其れで事足りるなら恐らくは何をしてでも手に入れるだろう。
然う云う人間だ。
若さ故か、愚かさ故か、若しくは元々の性格で直りはしないのか。偶に自分は何も愛していないのではないかと思う時もある。
きっとそんな事は無いのだろうけれど、なら何を愛しているのだと尋ねられればぱっと出てくるのは渚君位だ。勿論友人、と分類される人を愛して居ない訳では無い。然し、其れ等は不安定で常不安定で気持ちが傾く事が稀ではないのだ。気持ちがぱっと消えたり、かと思えばふっと戻って来る。懐かしさや愛おしさが行き来する、だから、其の時「愛しているもの」ではあるだろうが此の先を約束出来るか不安になるのだ。其の不安こそが愛を否定する其れではないかと思う。
渚君に関しては私が如何成ろうと多分愛し続けると思う。本当、性懲りも無く何年も初恋をしている気分だ。私は渚君に出会っていなければ如何なっていたのだろうか。
嗚呼、話が脱線した。まぁ私は愚かな癖にふらふらとしていて直ぐに何処かへ行きたくなるから、他の友好関係を全て切って、誰か愛しき人の手だけを取り何処かへ蒸発したとしても。多分、多分、何も変わりはしない。其の人に振られるか、若しくは自分の様に忽然と突然に姿を消した「愛」という名の感情に絶望して其の儘勢いで身投げをするかも知れない。そして死ぬ瞬間はまた後悔をするのだろう。きっとそんな人間だ。そんな、馬鹿みたいな人間だ。
行き当たりばったりの、丸で何にも抗おうとしない人間だ。自覚が有った。だからこそ、何事にも抗おうとして自分の力量も図らず、立場を弁えず、只管走り続ける人間を美しいと思う。
傍で眺め、其れを支える人間で在りたいと思う。私には、人目を引く様な容姿は無い。此の先を見通しす頭脳も、偏差値の高い高校に行ける頭も無いだろう。人に平等な訳でも、優しい訳でも無い。経験が豊富な訳でも無い。特化した特技も無い。
決して、人に愛される憧れられる人間では無いだろう。自覚がある。然し、其れ等の何を手に入れても私は変わら無いのではないかと思う。
だからきっとそんな、美しい人間に愛される日も来ないのではないかと思う。ネガティブ思考なのかも知れない。でも、其れ位だと、弁えた心算だ。私が何を投げ売っても美しき人々は私等眼中に無いのだ。知っている。弁えている。でも、愛さずにはいられないのだ。厭になる。タイプの子はずっと変わらない。多分、私が愛する人は私なんて興味は無い。其れで善い。其れで善いんだ…。嗚呼、少し疲れてしまった。今日は夜ホラゲをする約束をしたので取り敢えず今から出かけてくる。

please

お久し振りです。こんにちは。

なんて、一体誰に対して言っているのやら。最近、生きると言う事を良く、忘れます。死ぬと言う事も良く忘れます。只、必死に生きて生きているのですがふっと本当に1人になった時達成感と言いますか、又喪失感と言いますか。ふと「嗚呼、死にたい」と思うのです。身体の下から上に熱が上って来る感覚と共に。今まで、死というものも生というものも余り良く理解していなかったのかも知れません。なら今は理解しているのかと言いますときっとそうでも無いのでしょう。死んで見なければ死を鮮明に確かに語る事は出来ないでしょうからそんな人間は何処にも居ないのでしょうが。
まぁ、でも。それでも。ふと、死にたくなりました。
スクランブル交差点を歩いたんです。1人で。そしたら一気に自分が1人な事が自覚出来て。急に死にたくなりました。いや、何時だって生きていたい訳では無いです。何かを終えたから死にたくなった訳でも無いですし、何かを終えるまでは生きていようなんて今は思いません。若しかしたら一一そんな事を考え乍生きる人も居ないのかも知れませんが、この先の未来何があるというのだ、これまでと同じ明日が続くだけじゃないのか。と思います。旧友は私に「人は死ぬために生きている」と言いました。私はそれを否定しました。死ぬために生きているなんて意味が分からない、と。
私は精一杯生きています、きっと明日も明後日も生きるでしょう。でも、それは何の為でしょう?嗚呼、そう言えば誰かが「人間は意味もなく理由を求める」と言っていた気がしました。そうかもしれないなぁ。私は、何の為に明日を生きたらいいのでしょう。私の楽しみって何でしょう?私って何の為に生きてるんでしょう。上手く、形容出来ないけれど決して友人と、否友人と形容するのはダメだった、そうではなく。汐梨や、みゆと話すのが楽しくないわけじゃないんです。それでも人混みに紛れて姿を消したくなる日があるんです。何でしょうね。病んでる訳じゃないと思います、悲しい訳でも無いと思います。私は私を憐れみたい訳では無いのです、生きる理由が欲しいんです、納得出来る生きる理由、納得とまでは行かなくてもそんな下らない、大層下らない考えを打ち消す様に一心に見つめられる何かを求めています。
辛いです。只、茶封筒に入ったお金を只只消費するように外出してはグッズに変えて。正直今誰かと会ってもきちんと笑えてるかわかりません。笑えてるのでしょう。笑えてるのでしょうが、笑えてないんです。だから、心から笑える時に会いたいと思います。疲れてるのかな、そうだと思います、というかそうだと思いたいです。暫く、休みを取ります。

今日のみっちゃんとのでーとは楽しかったです。
イヤホン買いました、グッズ買いました、本を買いました。おやすみなさい。

ありがとう

誰だって悪いことはしない。違うのは価値観だけだ、と言うような言葉を聞いた気がする。恐らくはキノの旅だろう。
それ故に少し前の世代のアニメに良く有りげな悪役は現実にはいない。何時だって主人公も敵役もみんな自分の信念や目的を果たすためにそこにいて、自分の価値観やものさしで測っては敵対するだけでしかないのだ。

悪い事善い事。若しくは正解不正解。
そして最善と最悪、恐らく人生はバランスなのだと思う正解とは、不正解とは人生がゼロであったなら100とマイナス100にカウントされる。けれども人生にはプラスかワードやマイナスカードや更に言えばフィールドトラップもある。場合によりけり必ずプラス100が言い訳でもマイナス100が悪い訳でも無いのだと思う。
状況に応じて100点ではなく90点を狙ってハードルを下げることも大事だということだ。カードだってその時手札にあるかもわからない。双六のように人生はどの数を出せばどれだけ損して得して何てのが分かるようなイージーモードでも無い。先が何も見えないのに、自分で少しは先読みや察知という意味の分からないステータスをあげて漸く少しでもそれが見える。見えた所で間違う時もある。バランスなのだ、結局。幸せすぎる人生は100点だろうが、其れは完璧すぎる余り0点だ。幸せしかない人生はどれだけ幸せであるかにも気づけない。

私が不完全でそれが人間らしくて人間としては100点と評したあの時の彼女はそういう意味だったのかもしれない。知識と能力と目的のバランスが取れている完璧な人間だ、と、そう言いたかったのかもしれない。
完璧な人間というのは完璧な生物つまりは能力知識目的全てが100点ということだろうがそんなのは有り得ない。それは人間ではない。だから完璧な人間という言葉は可笑しい。
でも、人間の理想形、完成形が無いわけじゃないと思う。それが限りなく100点に近くそしてバランスの取れた人間という事だろう。
難しく考える事は無い、要はどれだけ幸せを感じられるかという問題だ。どれだけ自分を哀れまず人を哀れまず、自分の能力に見合った分をこなし欠点から目を背けられるかという話だ。
勿論、こんなのは他人に評される様なものでは無いのだろうが、傍目にあの人綺麗だなと感じるようにあの人凄いなと感じても罰は当たらないだろうかと思っている。決して綺麗な人を見かけてもそれに一一劣等感を感じ落ち込む人間は居なくはなくとも少ない様に、私もそんな人間を見かけても自分がそれよりもバランスが取れていない事を気に病んだりはしない。
ただ、憧れなだけだ。
そう言えば昨日買ったFさんの本には書いてあった「憧れや尊敬を含んだ愛は滅多に消えない」その通りだった、だから本当に、ありがとうと言いたかった。

おはよう

久し振りのブログ更新となった。
何にせよ、ここ一週間毎日朝からの外出が続いて色んな人と会話したり顔を合わせたりとハードだったのだ。いや、学生の人や社会人の人からしてみればそんなのは当たり前なのだろうけれど、その当たり前が当たり前にできなくて生きづらい。それから純粋に体力的にも限界だった。昨夜はグッズの片付けをしないととよく回らない頭で始めたのだが、ベットの上がグッズで埋まってしまい寝れなくなった。ぐちゃぐちゃにしまい込むわけにも行かず、リビングのソファで眠った。
朝起きたらいつもの通り、5時だった。
他にも話したいことが沢山あるが、2つだけ取り上げで話をさせて欲しい。

1つは暇人同盟の再会であろう。再会、であり再開でないそれは一時的な顔合わせのようなものだと思っていた。
それにそれを望んだのは他ならぬみゆさんであったので、私は出る幕はないだろうと思っていた。なにせ、相手はゆーちゃんである。
ツイート内容を消してツイートしてないなどと言い、自分の矛盾をなかったことにしようとする奴である。みゆさんとゆーちゃんの喧嘩をなんとか止めようと仲裁に入った私に「さーちゃんは変わらないね、ずっと子供のまま、脳内お花畑だよね。」などと言ってくるような奴である。さて、ここまで批判したが別に特段ゆーちゃんが嫌いという訳でも無い。
そういえば今朝何故か本垢で呟いてもいない情報をゆーちゃんが知っていて正直に怖いと思った。ストーカーってこんなのか、と思った。まぁでも私も監視癖はあるしTwitterやネットなんてストーカーされても仕方の無いようなものだと思う、特にTwitterなんて今の出来事をつぶやくってストーカーにとったらご褒美すぎるアプリだ物ね。という訳さほど気にしてはいない。
後ろめたい内容がある訳でも無いし、どのツイート、もしくは投稿を見られて何を言われても構わないしどう思われても構わないので問題は無いだろう。
一時的にむかついて嫌いだと口走ってもそこまでではないと思う。ただ向こうが謝ってくれる気はしないので、私も謝りはしないかもしれないが。

さて、もう1つは高校の話になる。
取り敢えず通信制高校の高校見学と進路相談を受けてきたのだがいまいちピンとこないでいた。アンケートに「中学校が嫌いな理由、高校に求めるもの」
などが書かれていたのだが「無し」としか記載のしようがなかった。恐らく担当した先生も「何故不登校なのか」と思ったに違いない。
「中学校は嫌いじゃないし、中学校にも高校にも何も求めてないです。行けないのは私が人と馴染めないから、人を信用出来ないからです」とは言い難かった。
先生は「自宅型通信制でも全然大丈夫だと思いますよ」と言ってくれた、自宅型だとついつい勉強や課題が手につかず卒業出来ずにやめていく子が多いと聞くのでそれは正直に嬉しかった。それでも私は学校に登校したいと思った。それは家に居たくないからというのもあったけれど少なからずの劣等感だろう。本当は全日制で行きたいと思う。それでも全日制に行ける気がしないのだ、何時になったらそんな日が来るのだろうと思う。だって、何度も何度も毎日学校に行こうと頑張ってその度挫折してきたのだ。担任だって少しずつでいいと言ってくれたし、両親だって中学に入ってからは学校を強要させなかった。だからこそ焦って期待に応えなきゃ、頑張らなきゃ、と思ったのだけれどやはり2週間続けてもその後からまるで息が切れるように途切れ途切れになっていつか行けなくなる。だけれど、だからこそ全く学校に行かないというのが嫌だった。劣等感だった、私は学校が好きな訳では無いのだけれど人が出来てることが全くできないというのは暫くの間私を苦しめた。人にも甘えだと責められたこともある。只、だからほんの少しの悪あがきだった。
週五で行けないなら週三でも週二でも行ってみようなんて。
実際それは上手くいって週三で学校へ行くことは大して苦にならなかった。でも、それは「無干渉」で成り立つフリースクールだったからなのかもしれない。あの空間は互いに無干渉でそれが心地好かった。私にしてみれば関わらないで話しかけないでくれるその空間が好きだった。

話が多少脱線したが、高校の先生曰く「5日来る必要はは無いし、5日期待と思えるなら来たらいい、徐々に来れるように先生も手助けするから。友達ともすぐ慣れられるから。」と、。実は私はそれがあまり好きではなかった。
5日、というノルマがダメだった。それを出来なければいけないというそれが多分私の苦手なそれだ。
友達ともすぐ慣れる、というそれもダメだった。慣れる必要はないのだ、出来るなら誰も何も喋らない空間が好ましい。そうじゃなくてもいいけど私は孤独感を感じたくないから誰にも話しかけて欲しくないのだ。もう誰も疑いたくないし、誰にも裏切られたくない。だから誰も信じたくない。
私は私を自分でコントロールして生きていたい。
然し乍ら、私どうしても通信なら授業型の通学生選択をしたいのだ。先生は「大阪の通信制高校の登校型は約8割から9割が自習になりますね」との事なのでたぶんもうその時点でかなり選択肢は狭まるのだろうと思う。
克服すべきなのかなとも思っているのだ、この考えを。分かってはいるけど…

ああ、だめだ、少し休む

2018.4.12

言葉で伝えなければ、伝えなければ消えてしまう。相手に届くこと無く風邪に連れ去られて空気と同化してしまう、と思っていた。
何処かで「何も言わずとも相手の心境を察して行動出来る関係」何てものが素晴らしいと聞いた気がした。そうか、私は無意識にそんなものは存在しないと思っていたんだな、と思った。
それは悲しい事だろうか?人間は身の程を弁えるべきだ。所詮人間だと。その言葉がどれだけ重く枷になるとしてもそれを受け止められもしない癖に身勝手に自分の心中だけを察してもらおうなんて理不尽もいいところだ。そして、言葉を発する側だって自分の言葉が人を傷つけるかもしれないというリスクを覚悟の上で発言するべきなのだ。覚悟や責任や罪悪感から逃げる為に勝手に察して貰おうなんて烏滸がましい。

愛しているなら愛していると。
大切なら大切なのだと。
嫌なら嫌なのだと。言わなければならなかった。
私はそういう面倒な事が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いだ。だから物語の中へ中へと思考を走らせ、心情が揺れ動くさまを見ていたかった。
そうする事でまるで私もが幸せになった気がして幸せを感じられて。


さて、私のこんな話はいいとしようか。
もっと大事な話をしよう。物欲、という物がある。最近の私にはそれがない。金も物も多分地位も要らない。すっぽりと全てが抜け落ちてしまったように思う。グッズを眺めてもただの絵の書かれた何かにしか見えなくてそれに魅力が感じられないのだから。
それはとてもとても苦しい事だ。私は三度の飯を抜いてでも集めたかったそのコレクションの数々が、何とも思えなくなってしまった。ゴミに見える訳では無いし捨てるには惜しいのに。でも、どうしてもそれに愛情が湧かなくて、あの時程の情熱がない事に絶望している。私が金を集める理由はたったそれだけだ。それだけの為でしかなったんだ。また、生きる意味もそれだけだったと思う。飯を食べるのも風呂に入るのも寝るのもそうしたいからと言うよりはただそうしなければいけないから。という感じで、ご飯を食べたり、睡眠をとることに幸せを感じていた訳では無い。
睡眠に関しては、ストレス発散として寝ていたところがあるけれど、否ご飯に関しても一時期異様な程に1日5食ほど食べていた時もあったのだけれど。でも、それの為に生きているわけでは無く。さらに、それも一時的な解決にしかならなかった。
グッズを集める事と、物語の世界へ入ることだけは違ったと思う。それだけは、私の意思で私が求めた、つまりは欲だと思う。それが、すり落ちたのだ。急に興味がなくなったのだ。
怖くて仕方ない。いつか、これらを手放しても私は平気でいられるんじゃないかって思うのが怖い。そしてしんどい。
取り敢えず物語の世界へ避難することであの時の情熱を取り戻せたら、と思ったのだがただの避難、つまりは現実逃避止まりな気もする。
それから、最近みゆさんがリアルが忙しいようだ。友達(?)が出来たようなのだが明るく振舞ってないといなくなっちゃう等と言って必死に学校に通っている。放課後も遊ぶ約束をしたり、ゲームをしているらしい。私と遊んでいてもそのこのLINEを返したりして結局昨日も一戦したあと落ちてしまった。無理しない方がいいんじゃないか、自分のしたいようにしたらいいと思うし、しんどいなら断ったらどうだ?と言ったのだが聞きそうにもないので放置していた。最初は心配したり妬いたりしていたのだが、正直それに疲れた。妬くのにも気力がいるし思考を巡らせる体力が必要だ。疲れた。物語を読んで逃げるしかない。そうしているうちにだんだんみゆさんのこともどうでも良くなってきた。いや、別に本人がどうでもいい訳では無いが、否、本人もどうでもいいのか?分からないけれど…自分のことで必死な感もある。家族絡みで色々連れ回されたり、グッズも興味もないのに必死に集めているからか毎日外へ出る日が続く、当たり前ではあるのだが、しんどい。
何も愛せていない気がする。それを治す気もない…。周りに誰もいなくなるだろうか?その時はその時だ。休みたい。休みたい。休みたい。

2018.4.10

私は物心ついてから8、9歳までで父親や母親と手を繋いで私からしたい話をしながら歩いた記憶が無い。いつも父と母と妹の後ろをひねくれた様に、不貞腐れたように、ゆっくりとその背を見つめて歩いていたのだ。
強く父にも母にも私の事を理解してくれないと思っていたからだろう。そして3人で楽しげに話す様子を見て私は「必要ない人間だ」と思い込んでいた。
今なら話し掛けようと思ったり何を話しているのか尋ねに行くのだろうが、当時私はそれ程強く心を閉ざしており、また友人もいなかった。本が友達。まさにその通りで、クラスメイトと言葉を交わすことは年に数度程度だった。休み時間中も自習中も本を読んでいた。本を読む事が幸せだった。物語へ現実逃避する事で精神を保っていたと言っても過言ではない。父はゲームをしていたり、遊んでいたりすると宿題や学校の事を話題に振ってきたが、本の事だけは咎める事無く、寧ろ褒める対象になったからだろう。決してゲームが嫌いなわけでもなかったが、父には会話をすると毎日のように怒られて居たから嫌いこそせずとも怖いとは思っていた。
父は何度言っても【それ】直そうとしない私にイラつき、良く「怒られるのが好きなのか」と言っていたがそんな事は無い。何故怒られているのか良く分からないから治せないのだ。良く分からないのに怒られる、と言う事実だけが私の中に残り。だからこそ会話を避けようとしたのだと思う。だってなんで怒られているのか分からないのだから。だが、それは恐らく父のせいではないのだろう。私が理解出来なかったのが悪いのだろう。発達障害のせいなのか元々鈍いのかわからないが、両親共に「怒る時に1度目は理由を話した」と言っているので私が何度も怒らせたせいなのだろう。
だから、私は隣を歩いてくれる人が好きだ。隣を歩いて笑ってくれる人が好きで、私の顔を見ながら話してくれる人が好きだ。それでも、目を背けてしまう時もある。
そう言えば、人の顔を見て話せとも良く言われた。人の顔をみて話すことは最初はそんなに苦手じゃなかったはずなのだ。
ただ、怒られたり笑われたりするのを恐れて、相手がどんな表情をしているのかを目撃するのが怖くなったのだ。
それから視線が苦手なのもあった。注目されるのが苦手なのだ、車のライトがあると思う、あのライトがまるで人の目に見えて私を責め立てるように哀れむように見られている気がした時期もあった。
そう言えれば良かったのだが、そう言うのも怖かった。後は「嘘だろ」と信じられないかもしれないという不安もあったのかもしれない。
私は怒られたり緊張したりすると声が出なくなった。頭が真っ白になって何も言えなくなってただ泣きそうになる。否、そういう時はいつも泣いていたのだが。その度両親に「なんで何も言わないの」「泣きたいのはこっちなのよ」と言われたものだ。きっとその通りなのだろう。なんで泣くの、なんで何も言わないのと言われても私だって分からなかったのだ。ただ声が出ないのだ。何を言ったらいいのかわからないのだ。
そんな言い分を信じてもらえる訳ないと私だって分かっていた。記憶に残る限り2度だけ、「何を言ったらいいかわからない。声が出ない」と言ったことがある。巫山戯てるのか、嘘つくなと言われた。そりゃそうだ。私だってそう思う。でも実際そうなのだ。これは物心ついてすぐからこうだったから、声が出ないしばらくの間は自分では何故怒られているのか自分は何をしているのかもよく分からなかった。
上記で2度「何を言ったらいいかわからない」と伝えたと書いたが、勿論声が出なかったのもそれで喧嘩したのも2度ではなくもっと沢山したのだ。恐らく5.6年の間毎日の様に。その間、勿論「何故喋らないのか」と尋ねられる事は毎度だったのだ。最初は何を言ったらいいのか黙りこくっていたのだが、そうしたら火に油を注いでしまうようで父に殴られたり蹴られたりしたものだ。至った結論は振りをしようということだった「悲しいから何も言えない」だとか「何か言ったら怒られると思うから何も言えない」だとか、なんだかんだと理由をつけて謝った。その場を丸く収めた。そうするようになったは7.8歳の頃だろう。元々、して欲しいことやほしいもの、嬉しいことや悲しいことを上手く伝えられなかったから、演技している節はあったと思う。演技していたら丸く収まるから、そうしていたのだと思う。私は知っているんだ、結局「何も言えない私」が悪い事を。だから、それを被害者振って話せない。リアルでこんな事を言った事も無い。幸せそうに笑っているだけで、人は無干渉でいてくれる。私はそれが居心地がよかった。もう責められないで済むことがどれほど安心したか。勿論責められる原因は私にあるのだろうけれど。
父や母は無干渉で無関心な私を嫌がっていたけれど、家族なのにと言っていたけれど、私は今でも干渉されたくなくて、関心されたくなくて、触れないで見ないで聞かないで言わないでと思っている。
後に、「何も言えない」理由は恐らく発達障害のパニック症状(メルトダウン)だと言うことが発覚した。その頃には「怒られるかも」「嫌われるかも」「失望されるかも」「笑われるかも」「間違ったらどうしよう」という思いを抱くことはなくなっていた。とはいえ、多分昔と同じように叱られて蹴られて殴られて壊されたらまた、そうなるのかもしれない。少なくとも学校の、特に実技テスト等の時はよく起こっていた。書き忘れた事だが、いじめよりも私はこのメルトダウンが起きるせいで小学校時代学校に行くのが辛くなっていた。実技テストやスピーチなど人前に立って視線を集めて話すのが凄く苦手てだからといって下を向く勇気もなくて、母親に「学校に行きたくない」と言ったことがあるのだが理由を話しても理解されないかもしれないという恐怖から理由も言えずにいたことがある。勿論その時も両親に問い詰められて「なんで喋らないんだ」と言われた記憶がある。 だからスピーチや実技テストの朝は本当にしんどくて夜も眠れなくて朝が来なければいいのにと祈っていた。
多分友達がいなかったり、好きなことが無かったのも本当は辛かったんだと思うけれど学校には行かなきゃいけないものでスピーチもしなきゃいけないもので、とそうやって自分の中で多分社会の常識というか大体の人間が当たり前にすることをしなければという思いが強かった。だからそれらのストレスや恐怖にばかり気を取られて自分のしたい事が見つからなかったのだろうと思う。
どれだけ頑張っても変われない自分が嫌で消えたくなった事も良くあった。思春期とかいうレベルじゃないと思う。私は小学校に入った時からそうだった。だって父親は「他の子もそうなのか?違うだろ?なんで出来ないんだ」と耳が痛くなるほど言ってきたし、「施設に入れるぞ」と脅されるほどの時もあった。そうしているうちに何となく確かに自分が周りと違う気がして、自分は異質な気がして、自分が劣ってる気がして、人の目を見て話せないとか喋れなくなるとかもそうなのだけれど努力しようと思ってもできないことで。努力してるつもりでも上手くいかなくてそんな自分が嫌いで泣いて眠った。
だから、私は「劣っている」と言うレッテルを今でも背に貼られている気がして劣等感の強い人間になってしまった。人の欠点を見つけてあの人よりそれはできてると安堵して、人の長所を見つけてパニックになって鬱々としている。それでも、足りないから人の欠点を見つけて安堵しても、その人は凄く劣っていただけで私も劣っているのではないだろうか?常人を下回っているのではないだろうか?やはり異質なのではないだろうか?と不安になり、結局しんどくなってしまう。

私は人を見るのが苦手だ、人と関わるのが苦手だ。
人が嫌いで、私も人だ。
本当は1人で生きるべきなのだと思う。それこそ隠居生活でもすべきなのだと。それでも誰かに愛されたいと願ってしまうし、誰かを愛したいと思ってしまう。どうしようもない人間だ。
何がきっかけであろうと、今の私の原因は全て私にあるのだと思う。言い逃れなんてできないのだ、これは父に言われた言葉だったか。そうだったならみゆさんの言うところの、【洗脳】ってやつなのだろうなぁ。でも、【洗脳】されてる私からしてみればそんなこともない気がするんだよ。
今日は長くなってしまった、土曜日の分は後であげる。それでは、取り敢えずおやすみなさい。