2018.4.12

言葉で伝えなければ、伝えなければ消えてしまう。相手に届くこと無く風邪に連れ去られて空気と同化してしまう、と思っていた。
何処かで「何も言わずとも相手の心境を察して行動出来る関係」何てものが素晴らしいと聞いた気がした。そうか、私は無意識にそんなものは存在しないと思っていたんだな、と思った。
それは悲しい事だろうか?人間は身の程を弁えるべきだ。所詮人間だと。その言葉がどれだけ重く枷になるとしてもそれを受け止められもしない癖に身勝手に自分の心中だけを察してもらおうなんて理不尽もいいところだ。そして、言葉を発する側だって自分の言葉が人を傷つけるかもしれないというリスクを覚悟の上で発言するべきなのだ。覚悟や責任や罪悪感から逃げる為に勝手に察して貰おうなんて烏滸がましい。

愛しているなら愛していると。
大切なら大切なのだと。
嫌なら嫌なのだと。言わなければならなかった。
私はそういう面倒な事が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いだ。だから物語の中へ中へと思考を走らせ、心情が揺れ動くさまを見ていたかった。
そうする事でまるで私もが幸せになった気がして幸せを感じられて。


さて、私のこんな話はいいとしようか。
もっと大事な話をしよう。物欲、という物がある。最近の私にはそれがない。金も物も多分地位も要らない。すっぽりと全てが抜け落ちてしまったように思う。グッズを眺めてもただの絵の書かれた何かにしか見えなくてそれに魅力が感じられないのだから。
それはとてもとても苦しい事だ。私は三度の飯を抜いてでも集めたかったそのコレクションの数々が、何とも思えなくなってしまった。ゴミに見える訳では無いし捨てるには惜しいのに。でも、どうしてもそれに愛情が湧かなくて、あの時程の情熱がない事に絶望している。私が金を集める理由はたったそれだけだ。それだけの為でしかなったんだ。また、生きる意味もそれだけだったと思う。飯を食べるのも風呂に入るのも寝るのもそうしたいからと言うよりはただそうしなければいけないから。という感じで、ご飯を食べたり、睡眠をとることに幸せを感じていた訳では無い。
睡眠に関しては、ストレス発散として寝ていたところがあるけれど、否ご飯に関しても一時期異様な程に1日5食ほど食べていた時もあったのだけれど。でも、それの為に生きているわけでは無く。さらに、それも一時的な解決にしかならなかった。
グッズを集める事と、物語の世界へ入ることだけは違ったと思う。それだけは、私の意思で私が求めた、つまりは欲だと思う。それが、すり落ちたのだ。急に興味がなくなったのだ。
怖くて仕方ない。いつか、これらを手放しても私は平気でいられるんじゃないかって思うのが怖い。そしてしんどい。
取り敢えず物語の世界へ避難することであの時の情熱を取り戻せたら、と思ったのだがただの避難、つまりは現実逃避止まりな気もする。
それから、最近みゆさんがリアルが忙しいようだ。友達(?)が出来たようなのだが明るく振舞ってないといなくなっちゃう等と言って必死に学校に通っている。放課後も遊ぶ約束をしたり、ゲームをしているらしい。私と遊んでいてもそのこのLINEを返したりして結局昨日も一戦したあと落ちてしまった。無理しない方がいいんじゃないか、自分のしたいようにしたらいいと思うし、しんどいなら断ったらどうだ?と言ったのだが聞きそうにもないので放置していた。最初は心配したり妬いたりしていたのだが、正直それに疲れた。妬くのにも気力がいるし思考を巡らせる体力が必要だ。疲れた。物語を読んで逃げるしかない。そうしているうちにだんだんみゆさんのこともどうでも良くなってきた。いや、別に本人がどうでもいい訳では無いが、否、本人もどうでもいいのか?分からないけれど…自分のことで必死な感もある。家族絡みで色々連れ回されたり、グッズも興味もないのに必死に集めているからか毎日外へ出る日が続く、当たり前ではあるのだが、しんどい。
何も愛せていない気がする。それを治す気もない…。周りに誰もいなくなるだろうか?その時はその時だ。休みたい。休みたい。休みたい。

2018.4.10

私は物心ついてから8、9歳までで父親や母親と手を繋いで私からしたい話をしながら歩いた記憶が無い。いつも父と母と妹の後ろをひねくれた様に、不貞腐れたように、ゆっくりとその背を見つめて歩いていたのだ。
強く父にも母にも私の事を理解してくれないと思っていたからだろう。そして3人で楽しげに話す様子を見て私は「必要ない人間だ」と思い込んでいた。
今なら話し掛けようと思ったり何を話しているのか尋ねに行くのだろうが、当時私はそれ程強く心を閉ざしており、また友人もいなかった。本が友達。まさにその通りで、クラスメイトと言葉を交わすことは年に数度程度だった。休み時間中も自習中も本を読んでいた。本を読む事が幸せだった。物語へ現実逃避する事で精神を保っていたと言っても過言ではない。父はゲームをしていたり、遊んでいたりすると宿題や学校の事を話題に振ってきたが、本の事だけは咎める事無く、寧ろ褒める対象になったからだろう。決してゲームが嫌いなわけでもなかったが、父には会話をすると毎日のように怒られて居たから嫌いこそせずとも怖いとは思っていた。
父は何度言っても【それ】直そうとしない私にイラつき、良く「怒られるのが好きなのか」と言っていたがそんな事は無い。何故怒られているのか良く分からないから治せないのだ。良く分からないのに怒られる、と言う事実だけが私の中に残り。だからこそ会話を避けようとしたのだと思う。だってなんで怒られているのか分からないのだから。だが、それは恐らく父のせいではないのだろう。私が理解出来なかったのが悪いのだろう。発達障害のせいなのか元々鈍いのかわからないが、両親共に「怒る時に1度目は理由を話した」と言っているので私が何度も怒らせたせいなのだろう。
だから、私は隣を歩いてくれる人が好きだ。隣を歩いて笑ってくれる人が好きで、私の顔を見ながら話してくれる人が好きだ。それでも、目を背けてしまう時もある。
そう言えば、人の顔を見て話せとも良く言われた。人の顔をみて話すことは最初はそんなに苦手じゃなかったはずなのだ。
ただ、怒られたり笑われたりするのを恐れて、相手がどんな表情をしているのかを目撃するのが怖くなったのだ。
それから視線が苦手なのもあった。注目されるのが苦手なのだ、車のライトがあると思う、あのライトがまるで人の目に見えて私を責め立てるように哀れむように見られている気がした時期もあった。
そう言えれば良かったのだが、そう言うのも怖かった。後は「嘘だろ」と信じられないかもしれないという不安もあったのかもしれない。
私は怒られたり緊張したりすると声が出なくなった。頭が真っ白になって何も言えなくなってただ泣きそうになる。否、そういう時はいつも泣いていたのだが。その度両親に「なんで何も言わないの」「泣きたいのはこっちなのよ」と言われたものだ。きっとその通りなのだろう。なんで泣くの、なんで何も言わないのと言われても私だって分からなかったのだ。ただ声が出ないのだ。何を言ったらいいのかわからないのだ。
そんな言い分を信じてもらえる訳ないと私だって分かっていた。記憶に残る限り2度だけ、「何を言ったらいいかわからない。声が出ない」と言ったことがある。巫山戯てるのか、嘘つくなと言われた。そりゃそうだ。私だってそう思う。でも実際そうなのだ。これは物心ついてすぐからこうだったから、声が出ないしばらくの間は自分では何故怒られているのか自分は何をしているのかもよく分からなかった。
上記で2度「何を言ったらいいかわからない」と伝えたと書いたが、勿論声が出なかったのもそれで喧嘩したのも2度ではなくもっと沢山したのだ。恐らく5.6年の間毎日の様に。その間、勿論「何故喋らないのか」と尋ねられる事は毎度だったのだ。最初は何を言ったらいいのか黙りこくっていたのだが、そうしたら火に油を注いでしまうようで父に殴られたり蹴られたりしたものだ。至った結論は振りをしようということだった「悲しいから何も言えない」だとか「何か言ったら怒られると思うから何も言えない」だとか、なんだかんだと理由をつけて謝った。その場を丸く収めた。そうするようになったは7.8歳の頃だろう。元々、して欲しいことやほしいもの、嬉しいことや悲しいことを上手く伝えられなかったから、演技している節はあったと思う。演技していたら丸く収まるから、そうしていたのだと思う。私は知っているんだ、結局「何も言えない私」が悪い事を。だから、それを被害者振って話せない。リアルでこんな事を言った事も無い。幸せそうに笑っているだけで、人は無干渉でいてくれる。私はそれが居心地がよかった。もう責められないで済むことがどれほど安心したか。勿論責められる原因は私にあるのだろうけれど。
父や母は無干渉で無関心な私を嫌がっていたけれど、家族なのにと言っていたけれど、私は今でも干渉されたくなくて、関心されたくなくて、触れないで見ないで聞かないで言わないでと思っている。
後に、「何も言えない」理由は恐らく発達障害のパニック症状(メルトダウン)だと言うことが発覚した。その頃には「怒られるかも」「嫌われるかも」「失望されるかも」「笑われるかも」「間違ったらどうしよう」という思いを抱くことはなくなっていた。とはいえ、多分昔と同じように叱られて蹴られて殴られて壊されたらまた、そうなるのかもしれない。少なくとも学校の、特に実技テスト等の時はよく起こっていた。書き忘れた事だが、いじめよりも私はこのメルトダウンが起きるせいで小学校時代学校に行くのが辛くなっていた。実技テストやスピーチなど人前に立って視線を集めて話すのが凄く苦手てだからといって下を向く勇気もなくて、母親に「学校に行きたくない」と言ったことがあるのだが理由を話しても理解されないかもしれないという恐怖から理由も言えずにいたことがある。勿論その時も両親に問い詰められて「なんで喋らないんだ」と言われた記憶がある。 だからスピーチや実技テストの朝は本当にしんどくて夜も眠れなくて朝が来なければいいのにと祈っていた。
多分友達がいなかったり、好きなことが無かったのも本当は辛かったんだと思うけれど学校には行かなきゃいけないものでスピーチもしなきゃいけないもので、とそうやって自分の中で多分社会の常識というか大体の人間が当たり前にすることをしなければという思いが強かった。だからそれらのストレスや恐怖にばかり気を取られて自分のしたい事が見つからなかったのだろうと思う。
どれだけ頑張っても変われない自分が嫌で消えたくなった事も良くあった。思春期とかいうレベルじゃないと思う。私は小学校に入った時からそうだった。だって父親は「他の子もそうなのか?違うだろ?なんで出来ないんだ」と耳が痛くなるほど言ってきたし、「施設に入れるぞ」と脅されるほどの時もあった。そうしているうちに何となく確かに自分が周りと違う気がして、自分は異質な気がして、自分が劣ってる気がして、人の目を見て話せないとか喋れなくなるとかもそうなのだけれど努力しようと思ってもできないことで。努力してるつもりでも上手くいかなくてそんな自分が嫌いで泣いて眠った。
だから、私は「劣っている」と言うレッテルを今でも背に貼られている気がして劣等感の強い人間になってしまった。人の欠点を見つけてあの人よりそれはできてると安堵して、人の長所を見つけてパニックになって鬱々としている。それでも、足りないから人の欠点を見つけて安堵しても、その人は凄く劣っていただけで私も劣っているのではないだろうか?常人を下回っているのではないだろうか?やはり異質なのではないだろうか?と不安になり、結局しんどくなってしまう。

私は人を見るのが苦手だ、人と関わるのが苦手だ。
人が嫌いで、私も人だ。
本当は1人で生きるべきなのだと思う。それこそ隠居生活でもすべきなのだと。それでも誰かに愛されたいと願ってしまうし、誰かを愛したいと思ってしまう。どうしようもない人間だ。
何がきっかけであろうと、今の私の原因は全て私にあるのだと思う。言い逃れなんてできないのだ、これは父に言われた言葉だったか。そうだったならみゆさんの言うところの、【洗脳】ってやつなのだろうなぁ。でも、【洗脳】されてる私からしてみればそんなこともない気がするんだよ。
今日は長くなってしまった、土曜日の分は後であげる。それでは、取り敢えずおやすみなさい。

2018.4.4

私の前の彼氏否、彼女は肌が白くて身体が小さくて髪が長くて触れたら壊れてしまいそうなくらいに弱々しげでそれでいて物事をハッキリさせたがって私にとって憧れだったと今更ながら思う。凛とした彼女は私を人形のように扱ったけれど、やっぱり今でも彼女に似た人を街中で見かけたり話したりすれば少し淋しくなる事はある。嫌いになったから縁を切った訳では無い。確かに愛想は尽きたが思いがなかった訳でもない。
目付きも、仕草も、表情までが似つくその女性は私が降りる二つ前のバス停で降りていった。
黒い帽子を被って短い髪を纏めて。真っ白な服をひらひらひらひらさせながら私は目的地に向かった。
明後日から色々と予定が詰まっている。今日は少し休みたい。それではおやすみなさい

2018.4.2

糸が切れた様に泣き出してしまった。やることだって沢山あって出来てなかったら急かされたり怒られたり、そうじゃなくとも罪悪感は何時だってある。私は人一倍過去に囚われやすい女で人一倍理性や責任感等が強くてそれで居て、脆くて弱くてとろくてちょろい。
私が本当にしたいことと、私が誰かのためにしてあげたいことと、したいしたくないに関わらずしなければならない私の事と、頼まれた事と。沢山あって沢山あるのに優先順位を無理矢理下げてきている。正直毎晩一人でそうやって作業を進めても眠ってしまう時は眠ってしまうし、横になって動けなくなってる時も少なくない。それをサポりというならそうなのだろう。泣いても誰も理解してくれないし、誰も許してくれないし現状も変わらないらしい。何時までも私は過去に囚われている、らしい。みゆさんから「親に洗脳されてる」と言われた。そうなのだろうか、そんな大層なものじゃない気もして、悪いのは全部私な気もして、それが洗脳だとみゆさんは言うのだけれど私にはどうしても洗脳されているのだと両親のせいに出来るほど自分に自信がなかった。情けない。
他人なら私よりうまく立ち回って私より沢山動けるのだろうか?私と他人の差はなんだ、私は本当に動けないのだとなぜ証明出来ないのだろう。…もう、休みたい。

2018.3.29

数分程眠ってしまっていたようで日付が変わっていた。
「例え何人にお前は異常だと後ろ指を指されても私は正常だと胸を張ってそいつ等が全員異常だと言える程自信が持ちたい」と言ったことがある。否、今でも私はそう思っている。
みゆさんがそれに対して「それは自分勝手ではないか?」と問うた。彼女の面白い所は私の発言や意見に対しかなりの高確率で私の想定しない質問をぶつけてくれるところである。

確かにそれは自分勝手なのかもしれないが、沢山の人間が自分勝手をしているのだ。それを正当化するつもりはないが、そいつ等に言われっぱなしで自分が悪いのか、と思い詰めるのはどうも癇に障る。
そして、まるで異常だと言うのが悪な様に言うけれど、決してそれが悪なのかと思ったのだ。
私は異常だと言う人も、黙り込む人も対等であると考えた。何故ならこの世の全ての人間が異常だと言い続けたなら誰も傷つくことは無いのだ。誰もが自分は悪くないと自信を持てば傷つくことは無いのだろう。そして、みゆさんの言うように全員が自分が悪いのかもしれないと自重し自分の欠点を見つけ改善を繰り返したなら優しく綺麗で効率のいい素晴らしい世界ができるはずだ。が、しかし後者な世界になることはきっとないんだと思う。きっとそれは囚人のジレンマだ。だから、私は前者のひとりでありたかった。誰かを否定する人間になりたいわけじゃないけど自分を否定されても揺るがない程度に重くなりたかった。みゆさんはそれっきり黙りこくってしまった。

今の私を今の私はちょっぴり気に入っている。だから、少し幸せだ。おやすみなさい。

無題

眠れない。

私にとって、兄弟なんて肩書きは形でしかなかったと思っている。タダの理由付けだ。
別に兄弟じゃなくても困っていれば助けただろうし相談にも乗っただろうし深く関わろうとしたはずだ。ただ、その理由を曖昧にせず明確に目に見えるものにしたかったから。そんな程度の物だった。けど闇紫にとってはそれは違ったのかもしれない。とある人格垢で「トラウマがフラッシュバックされたことから俺たちはここには来ねぇから。裏も作らない。同じこと繰り返してばっかで飽き飽きしてるんだよ」と呟いていたらしい「繰り返された身になれ、楽しくしたいだけなのに。」「フラッシュバックしてしまったから主人格が泣いた」「してる事が三男と変わらない」等など、正直無言でぶっちしたい気分だった。何処まで自分勝手をするつもりだろうか?悲劇のヒロインを演じて責任逃れするつもりだろうか?
これを見た時はみゆさんとなうで通話してて一寸キレてしまった。大丈夫?と心配されて申し訳なさに謝ることしか出来なかった。そのあと電話を切ったがイライラは収まらず発狂しかけだった。ぶっちゃけ明日も怒鳴らない自信が無い。キレそうだ。逃げてない、考えた結果だと言うけれど甘過ぎると思う。自分に。

私だって逃げれるなら逃げたい。他の誰だって自分の発言を全て人格のせいにできるならそうしたい。人格という壁や殻に篭って自分は安全地帯にいるだけだ。
病院に行かないのに信じてもらおうなんておかしいし、病院に行かないのに生活出来るのもおかしい。私はこれできないあれできないと言う度「甘えだ」「逃げだ」「努力しろ」「嘘をつくな」と言われてあげく「普通じゃない、そんなことも出来ないのか」と罵倒され続けたのにそれでも努力し続けたし自分を責めて常生きなければならなかったのに。なぜ人格なんかに逃げれるんだ。許せなかった。此処まで来ると私情になる。最初は善意のつもりと言うにはあれだが、嫌な所を伝えるのもそうだが、本人の将来を思ってのこともあった。本人が人格障害に逃げているのは良くない気がしたから。ただ、もう今はそれどころじゃない。許せない。好きだったから、余計嫌いになったのかもしれない。興味のない人間ならここまでしようと思わないしここまで憎みもしないのだろう。
ただ、一時的に憎悪の炎が燃え上がっただけで燃えきったら残骸になる。つまりは無関心しか残らないのだ。

もう今日も遅い。眠る。おやすみなさい

2018.3.26

今日は今年に入って1番喜んだかもしれない。
そして、明日は死ぬかもしれない。十四松と一松の話じゃないけれど余りにいいことが起き過ぎて【幸せ借金】が増え過ぎている気がした。
幾つか話したいことは有るのだがどれを何から話せばいいのかわからない。取り敢えず最近口がすぐにでる。例えば、Twitterに流れてくる「死にたい死にたい」が本気でしんどいのだろうなというのも分かっているし、死にたいのも分かっている。でも死ねないのも分かっているはずだし死ぬつもりもないはずだ。そう思うとつい口から「死ね!!!!」と出てしまうのだ。勿論そんな言葉は彼女等が逆上するだけなのだ、そんなのは分かっている。冷静じゃない訳では無いと思う。ただ、少し賢く立ち回る事に疲れた。人の気に触れないように穏便に済ませられるようにと気を使うのがしんどい。でもそれは自分のせいなので他の誰にも責任を押し付けれるつもりは無い。
それから頭の線が何本かイカれた。テンションがおかしいし日本語もおかしいし言動が数秒で矛盾するという意味のわからさ。さーさんだいじょぶ?ってみゆさんに何回か聞かれたんだけどそれの意味もよく分かってない時が何度かあった。規則正しく生活ってのが結構きつかったりするのか、それとも環境の変化や心情の変化についていけないのか。よく分からないけれど取り敢えず精神的に突然しんどくなる事があるので薬を飲んで誤魔化している。みゆさんにバレたらどやされんのかな。薬に頼るのが悪いみたいな偏見があるけど、頼らなきゃしんどくなってやってきたこと全部無駄にしちゃうから飲んで頑張るしかない。飲まなかったら頑張れないのに飲まないで頑張れってのは無茶なのだ。頑張ってるからそれは見逃してほしい。

……あれから…少しずつ世界がきちんと色付いて見えてきた。自分の存在が見えて、自分の求めた答えに近づいた。忘れないように、文字にして取っておく。それじゃあ、おやすみなさい。