2018.3.24

そう言えば、昨夜時線に流れてきた心理テストなのだが
心にぱっと浮かんだ四字熟語二つを書き出せという問題で、確か私は鏡花水月と自己犠牲が浮かんだ。
この心理テストの答えは一番下に書いておくので、良ければ考えてみて欲しい。



閑話休題



優しさが分からない人は優しくなれないし、格好良さが分からない人は格好良くなれない。そんなのは常識で1という数字の存在の認識ができない子供が足し算も引き算もできる訳が無いのだ。

でも、私の周りには無意識に私に優しくしてくる友人が何人かいる。彼女等は自己が優しいという事に気が付かないまま生きている。私にとって彼女等は間違いなく「優しい」が、彼女等はそれに気づけないのなら、それはきっと優しさではないのだろう。
彼女等がエゴだというのなら私はそれを否定出来ないし、彼女等が気紛れだというのならそれも否定はできない。でも、私はその優しさ故に救われただとか傷ついただとか、少なくとも「優しいと思った」という事実を告げる事が精一杯で、彼女等が自分の優しさに気づく或いは自己の中での優しさを定義し優しくなろうと努めたならその時本当に彼女等は優しくなれると思う。
要に言いたいことは、「私は自分の感じた事は伝えれるけど結局その人が優しいとか格好良いとかそんなのは一意見でしかなく、本人がそう思わないと意味が無いし、私の定義する優しいとか格好良いとかは私の定義でしかないから自分でそれらを定義する所から始めて自分を再認識し直すべきだ」という事ですね、はい。


心理テストの答えは
一つ目の四字熟語が自分の人生観
二つ目の四字熟語が自分の恋愛観






人生観が鏡花水月で恋愛観が自己犠牲ってどんなんだよ……。でもあながち間違ってもいない気がした。ふわふわして、ある筈なのにそこに見えない人生や日々を歩んでる自覚はある。
恋愛観の自己犠牲は違うと信じたい。人の為に尽くす事が何より好きだがそれは犠牲になっているつもりは無いのだ、本当に。ただ、恋愛がストレスになっていることは確かかも知れない。今は恋より優先してしたい事があるのと人との関係を少し整理したくて出会い等を求めている暇がないのだ。

曖昧にするな

失恋を曖昧にしてはいけない。
好きになった事も、叶わなかった事も全部なかった事になんてならないから好きだと本人に言わずとも気が済むまで口に出して、仕舞わないといけない。諦めずとも、区切りをつけるならこっ酷く振られるべきだ。曖昧にして、時間だけが過ぎたら曖昧な気持ちと曖昧な過去だけが残って何時か後悔する。必ずだ。
しかしこうやって区切りをつけるべきなのは恋愛感情のみだと思う。友情なんて最初から不安定に広範囲にあると思われるそれらを必死に区切りをつけようとしなくてもいい。
好きな時に呼び出し、好きな時に話を聞き、好きな時に言葉を交わし、知恵を出し合えばいい。喧嘩別れをしたら許そうと思ったその時に会いに行け。逢いに行く理由はそれだけでいい。きっと、そうなのだ。化物語シリーズも終盤に差し掛かっている。神原駿河の「人と人が会うのに理由なんているか。何故みんなそうやって人と出会うことを拒むんだ!」という台詞を聞いた時、懐かしい感覚が戻った気がした。…昔に戻りたいと思う事が愚かだとは思わない。人間が想像し得ることは実現可能だそうだ。想像どころか経験をした事ができないわけが無い。戻れないなんて嘘だよ。その時その瞬間に戻す事は出来ないし他人を帰ることが出来なくとも自分自身を過去の自身に似せることは出来る。あの頃より経験を得て知識を身につけた私はそれではないけれど、それに近いなにかになれるはず。
もしこの願いが間違いだったと思う時が来ても、今の私に罪はない。お疲れ様、今日の私。

時間と絶望と偶然が変える物

唐突に放たれた「付き合う?」の言葉に返す言葉が見当たらなかった。なんて、なんのラブコメのキャッチコピーだろうか?

今日はみゆさんとの電話越しで少し前に余りにネガティブ思考が働き者になるので思考停止薬代わりに読んだ本の話をしていた。
もう記憶に残らない程前、私が頼んだ本と間違えて母さんが買ってきた本があった。当時の私は目的の本ではなかったから読まなかったらしいが、片付けをしていて出てきたそれを、一度も読まないのは損だと読む事にしたのだ。
主人公の絶望から始まるその恋愛漫画は、少々鬱々としていて、関係や思惑がややこしく絡まって、結局初恋が破局。直ぐに幼馴染と付き合っても初恋を忘れられなくて破局。幼馴染を傷つけた罪悪感を残して数年越しに初恋の相手と結ばれるという話だった。
なんとなく、なんとなくその話をしていると唐突にみゆさんから有り得ない発言が出てきた。
「付き合う?」


暫くの長い沈黙の後、え?という間抜けな声が出た。
長く語る必要も無いだろう。私達は互いに友人以上で見れない。友達、だと私は思っている。確かに今の彼女といても今の関係、今の状況が変わる訳では無いのは分かっている。
みゆさんが明らかに焦っているのは分かっていた。私に対しての恋情なんかじゃない。結局好きな人を忘れる為の穴埋めでしかないのだ。でも、穴埋めをすることが悪い事だなんて思わない。誰だって心の傷を埋める為に努力する。
でも、私達は私達を知り過ぎている気がした。今の私達ではなく昔の私達を互いに知る為に、忘れられないのではないかと。あの時、恋人として過ごした私達を一度過去にした私達は今の私達を愛せるのか?
忘れる忘れない云々以前に、忘れさせる方法が見当たらなかった。みゆさんに依存しているという点ではきっとそうだ。でも、何というのか恋愛的依存では無い事は何となく分かる。
ダラダラとこうやっていても意味が無いのも分かっている。どうせそうやって足踏みしてるだけじゃ遠くの景色を見て羨ましがる事しか出来ないのだから。
愛されたい、甘やかされたい、認められたい。
みゆさんのその要求を埋められる程、私は愛に飢えていなかった。正直に言うと、誰と付き合わなくてもみゆさんと友達で入れて、渚くんがいればいい、と思ってる。面倒臭くなった、彼女へのケアとか、気遣いとか、楽しいと思えない。世話を焼くのが好きだったのに…今となれば面倒臭いし、いざそれをしろと言われてもどうやっていたのか思い出せない。
…取り敢えず今の彼女とは別れた。こっちの方がメインなのだが、長々と前の話を語ってしまった。みゆさんに言われて、漸くその事に正面から向き合う事になったのだが結論として出たのは「何も無い」だった。思いもなければ、変化もない、なにも、無かった。形だけの約束に縛られる振りをしているだけだと自覚して、別れる決心がついた。彼女も何も言っていなかった。
ならみゆさんと付き合うのかという話は正直よく分からない。別に付き合ってもいい。でも互いに好きなって貰えるように努力しなければならないと思う。それで居て相手に愛されて自分を認めてあげられたなら、私はそれに意味があると思う。
……なんだかんだ、みゆさんが絡むと昔の自分に戻ってる気がする。少しだけ自分が好きだったあの頃に。そう思うと、みゆさんといるのもいいのかもしれないな。今はまだその覚悟がないけれど、有耶無耶にはしない。ただ、少し考える時間も欲しかったりする。それから、みゆさんをもう少し知る時間を、

もうこんな時間だった、やる事が残っているので取り敢えずおやすみなさい

2018.3.18

みゆさんから「お前は昔俺を甘やかしすぎて自分を甘やかせなかった。ごめん。」と言われた。

何時だって他人を甘やかす事が大好きな人間だ。人が嫌いな癖に人に依存されるのが好きで人が離れていくのが怖い。多分、矛盾だと思われるだろうけど、好きだから嫌いとかその類に似ている。好きだから嫌われたくない。きっとそれはそうなのだろうけど、人の気を使うのがしんどくて人にうんざりしてるのもまた事実なんだ。
私は少なくともみゆさんを甘やかして認めて、愛したあの1年を無駄だと思っていない。だって今こんなにも私を気遣ってくれるなら、後悔すべきことなんてないと思うし謝られるべきことも無いのだ。

みゆさんから「大人になってきちんと仕事につけたら一緒に住もうって正式に?誘おうと思ってた」という話を聞いた。
彼女も私もそうだけど両親から「やってからいえ」と強く言われていた節があるから何となくそうかなとは思っていた。
みゆさんは最近二言目には家出たい、親といたくないと言って今日なんかは精神状態が悪すぎて私に電話をしようか悩んだそうだ。私は寝ていた。私自身、みゆさんと暮らすのは正直やばい気がする。喧嘩めっちゃしそう()そんで2人で酒飲んで頭パッパラパーになるまでテンション壊れそう…。大丈夫かこいつらってなりそう…。通話してる昼まですらそれなのに一緒に生活とかしたらえらいことになるんじゃ…と思っている。みゆさんは「さーさんと暮らしたら面白そう」と言っていた。面白いのか?私…。今は誰かと住むのを考えると少し不安が残る。誰かと距離が近くなることに抵抗を覚えだしたのかもしれない。自分で言うのもなんだけど、文字や声だから隠せている感情があって、それを暴かれたら関係が壊れてしまう気がした。昔は恋人と住みたいと強く思ったなぁ。それは今と同じ理由で、文字や声だから隠されてる感情、を知りたかったからで、受け止めたかったからで知って欲しかったからだった。みゆさんも、言ってたけど不安になればなるほど電話をかけようとか、LINE送ろうとか思えなくなる質で。そういう不安定な時に誰かに何かSOSを求めるのが怖いんだ。拒絶も、同情も哀れみも、嘘も怖くて。なにより弱い自分を見せるプライドが許さないのかもしれない。
そんなんだから、人と暮らすのが少し怖い。今は、誰かを受け止めきれる余裕がなくて、自分を見せる勇気もないから。それは時間が解決してくれる何かではないと私は思う。残り5年で、私は変われるだろうか?変わらなければならないのだろう。

…こんな弱音を吐きたくないが、今の自分に依存している節はある。
弱くて弱くて仕方の無い私だけれど、みゆさんも実際似たようなもんで。私だけがそうやって変わって言ってしまったら何時か「さーさんに私の気持ちなんてわからない」と突き放されて、私自身も今の自分を見失うのではないかと。少なくとも私は、みゆさんがそう変わって言ったら不安になると思う。
…二人で変わろうと、言えないあたり…私も大概変わったのか。
それは進化か退化か……だめだ、少し眠る。おやすみなさい

2018.3.17

あの人の言葉は何時も現実的で正論で、優しい。
だから、そんなあの人と話すのが嫌だった。全て見透かされたような目で見られるのが嫌だった。
昔、言われた事があった。
「世間はさ、今さーちゃんが思ってるよりもっと優しいよ」
知らない振りをしていた、見ない振りをしていた。だって、私が全てだと思っていた世界は全部私の世界で、私が作り出したもので、本当はもっと世界が優しいなんて、信じられなかった。
結局あの人の言う通り周りなんて関係なかった、そんなの分かってる…分かってるけど無理なんだ。無理だと逃げてるだけ、そうなのかもしれない。あの人の言葉はいつだって正しい。でも、私がどれだけ頑張っても私は認められないし許せない。少しでもそんな自分を忘れて、無理に体を動かして、頑張った気になっても気がついたらまた私の前に立ち塞がる。
触らないで欲しかった、話しかけないで欲しかった、頑張るのがしんどかった、認めるのがしんどかった。
幼少期、父親から否定されたり父方の家庭内で嘲笑された経験から不安定な性格にはなっていたけどやっぱり根本は私のせいなのかもしれない。ああ、この考え方もいけないのか?もう分からない。あの人は私に「癖づければ1つでもやれたと思えるようになる」と言ったが、私はそう思えていても途中から本当にできているのか疑い出してしまうのだ。分からないかもしれないが不安に駆られるのだ言い表せない、不安に襲われて頭の中に本当に?自分の都合のいいように解釈してない?お前のせいなんじゃない?って元々自分がないから言われた言葉をずっと覚えてそれが脳内から離れない自覚はある。でもそれを誰かに理解されると思えない。こんな性格もダメなのか、
理解して欲しい、と思えていないのだろうか。多分違う。理解して欲しいけど、理解されると信じないのだろう。
私は何も出来ない。正確にはトイレへ行けるし、お風呂も湧いてたら入れる。少し歩く程度なら苦じゃないし、タッチパネルを少し操作するのもそんなに苦じゃない。でも、Twitterの返信とか、ゲームのログインとかもしんどくて出来ない時が続く。正直、そういうレベルで動けない。何をしてるってJAZZ系プレイリストをリピート再生して寝たり、ぼーっとしながら単語の意味を調べたり、思考実験も最近はあまり見ていなかった。
頑張れば動けると思う人もいるかもしれない。でもその頑張るというのがどれほどのレベルか、きっとわからないと思う。私も頑張ればできるんじゃないか?と思って何度か買い物に出てみたりした。帰ってきて倒れ込むように眠って起きたら14時間くらいたっていた。
Twitterの返信も長くしていると自分が相手を不快にさせてしまう発言をしていないか不安になって徐々に病んでしまう。

例えば私がペットボトルのキャップを開けようとしてもキャップは些とも回らない。本気で力を入れているし私も開くだろうと思っている。でも回らない。傍から見たら何してんだこいつ、と思うだろう。でも回らないんだ、本気なのに。
…サボりだと思われるのだろう。それが嫌だった。でも出来なかった。そして私も周りと同様それを認められなかった。

昔はそれでも頑張ってなにかしようとして自傷したり、ストレスになって体調を崩した。
それを辞めて、休むようにしても認められないでちょくちょくしんどくなる。
本当は普通になりたい。普通に過ごして、普通に笑って、普通に自分を認めてやりたい。でも認められないじゃないか、こんなんじゃ…。

無題

何を、どう、どの様に書けばいいのか、分からなくなった。
父親が発する言葉がどれもこれも私を責めている様に思ったのは何時からだろうか。
それは、過去事実であったのかそれとも最初から私の見ていた幻であったのか。
今更どうでも良かった。でも、そう思ってきたから誰か友人といる時だって時々精神的に苦しくなってくると言い表せない不安に駆られ逃げたくなって、友人や恋人の悪い面に目がいって、自身の欠点に虫酸が走って、全員殺してしまいたくなった。

だから、泣いている時手を差し伸べられても
「触らないで」と叩き落とした。

…許す方法を知らないから諦めることしか出来ない。怒りや愛情などを他人に抱けるのは期待をしているからで、期待の反意語が失望なら失望する事で怒りも愛情も他人に抱かないようにしようと思った。

他人に評価されないのも他人に馬鹿にされるのもどれだって私が変わればなんの問題もないのだ。変わらない私が悪いのだろう。努力してないつもりは無い、何かしらに努力しているつもりでも結果が出なければ同じなのだろう。それが凄く悔しい。そしてそれがすごく辛い。…生きてるだけで精一杯なのに。