全身鏡の意味ってなんですか。

僕らは知っていた。

体調記録
常用薬 服用量
ルナベル 1錠
レクサプロ 1錠
ロキソニン 1錠
ムコスタ 1錠
日記

この年齢だと決まって言われる事は進路と部活だ。特に成人からはよく聞かれるものである。学校楽しい?とか言われた日には内心じくり、と何かが痛む音が聞こえるのを無視して肯定してみる。
どうせ、理解され無いし下手をすれば偏見を持たれることもある。それならいっそ黙っていようと思う。
話が逸れたが、進路と部活についてだ。前者の話はよくしているが今日は後者を話そうと思う。
確か小学校にもクラブ、というのがあったはずだ。なぜはず、かと言うと殆どまともな活動は皆無だったからと言っていい。今よりずっとクラブの数は多かったはずなのだが私は体育系に入る気が毛頭なかったので文化部に絞られた。父にも母にもクラブの存在さえ教えなかった気がするが一年おきにクラブの変更が可能でクラブが潰れないように人数の制限があった気がする。
毎週水曜日の放課後にのみ活動できる、という内容なのだがたまに委員会もあるので、本当に僅かだったのだ。
私は1度文芸部に入っていたのだけれどもともと人気が無い部だったから頭数合わせるだけ、みたいな感じだった。何かを書く人はほとんどいなくて活動が図書室だったからみんな本を読んでた気がする。上の階は音楽室でたまに流れてくるジブリメドレーで眠ってる人は結構いた。しかもほかの部と違い冷房も暖房も聞くのだから快適極まりない。顧問も滅多にこないし教室のある棟から遠いの以外は文句なしだった。
確か本館、西館、東館、北館。と分かれているのだけれど本館には職員室理科室等があって教室のある北館東館と面していた。で、西館は何処とも面していなくて一階は保健室、特別支援学級、第1家庭科室とすべての教室が使われているけど廊下は凄く暗くて不気味。二階は廊下に面してる教室は空き教室で廊下の突き当りを曲がったところに二つ階段がある。その手前、つまり突き当りに一つ教室がある。それは図書室だった。ちょうどそのドアを開けると突き当たりが見える。突き当りに図書室があるんだから当たり前だけど…。
そこに、鏡がある。全身鏡だ。なぜあるのかは知らない。長々と暗く薄気味悪い廊下が続いた先に全身鏡がある。空き教室には使わなくなった人体模型とか楽器があって低学年の子は図書室から上履きを履かずに下を見ながら全身鏡まで歩いているとペタペタさん?なんだっけ。てけてけさん?が来るとかなんとか。そんで全身鏡まできて顔をあげると後ろに自分がいるとか。
なんせ、そんなんで西館は怖い話がいっぱいだった。因みにうちの学校で全身鏡があるのはそこだけ。3階は図書室の上に音楽室があるだけで空き教室も同じ数あるけど突き当りの全身鏡はない。4階はあるけど階段のところに立ち入り禁止と書かれたテープが貼られててそれが、赤一色で気持ちの悪いことこの上ない。と、でもまぁ私は4階に行ったことがある。興味本位で入ったとかではなく、新学期に先生に連れられて4階の資料室にものを取りに行ったのだ、が…まぁ普通だった。3階と同じ。全身鏡も無い。でもなんとなく、春なのにそこは寒くて運動場から一番離れたそこは、世界が切り離されたみたいで気味が悪かった。
私は霊とかはあまり信じない質だけどあそこは今でも気味が悪いと思う。
あ、かなり話が脱線した。このクソ寒い中こんな話がしたかったわけではなく。私は好きなものがない、という話だ。先生に勧められたり色々して部活で選んでみたら?と言われたんだけど(高校)正直部活に好みもクソもなくて親が勧めたらそれ。みたいな感じだった。というか親が勧めてくると執拗い。
中学に上がって吹奏楽部勧められたけどそれだけは死んでも嫌だと言い切ったから吹奏楽部は免除されたが。何故か、話せば長くなるが理由は大きく三つだ。人間関係、技術的な問題、好み的な問題。正直時間の束縛とかその類は構わないとして人間関係が築ける気はしなかったし、築かなくてはいけないのもわかっていた。上に私を虐めていた子が所属。技術的な問題は練習でどうにかなるにしろ、好み。つまり私は音楽が嫌いだから。それに尽きた。嫌いなものを好きになる努力はしたくなかった。し、嫌いで苦手なものを無理に練習する気もなかった。なんせ合わなかった。
が、音楽と一括りに言っても小学校の時は割と好きだった記憶がある。
吹奏楽が嫌いなのかもしれない。私はリコーダーが嫌いだった。夏休み一日二時間の練習を繰り返してもエーデルワイスしか吹けるようにならなかったくらいには苦手だったから。夏休みといえばあの時は1ヶ月と半月はあって、単純計算で45日。なら90時間の練習をしてエーデルワイスだけだ。ちなみに課題曲は威風堂々かなんかだった気がする。
鍵盤ハーモニカは割と好きだった、がハーモニカは嫌いでアルトリコーダーは未だに吹けない。歌も苦手だった、なんか高さがどうとか言われてもわからない。いや、高さが違うのはわかる、むしろアスペルガー症候群の特性に感覚が敏感というのがあるくらいなのでどっちの方がどれくらい高いのかはなんとなく分かるのにそれをするのが無理だった。歌になるとパニック起こすから本当無理だった。リコーダーのテストとか歌のテストの日は決まって学校に行くのをぐずって家から放り出された記憶がある。
そんな私が小学校の頃音楽をそこまで嫌わなかったのは鉄琴があったからだと思う。ピアノだと頭がくるくるしてパニックが起きるのだ、手が小さいのもあったけどそれ以前に練習が足りなかったのもあると思う。
叩けないと意味が無い、でもタンバリンみたいに一つしか音がないと混乱してリズムが乱れる、いくつかの音がないとダメ。そう考えると木琴でも良かったんだけど木琴はなかった、正確には音楽室になかった。
2年でそこそこ鉄琴は上達して割と合奏は好きだった。吹かなければ、大抵は出来たけどやっぱ音楽自体はあまり得意ではないので鉄筋がなくなった時点でかなり絶望的だった。小学校の音楽の授業は合奏に関して以外は殆ど3だったし。

父さんとしては、私が音楽を聴くのが好きで誰かと話しをするのが好きという認識だったのだろう。ストレス発散にどうのこうのとか言っていた記憶があるがストレスは溜まるばかりだと思った。
体育系の部活も勧められたが無理だと思った。好きじゃなかった。ついていける気がしなかったしそこにいる人たちと気が合うとは到底思えなかった。それを根性ない、というのかもしれない。なんでもいいから勘弁してくれ状態だった。
部活は絶対は入れと言われたので適当に茶道部とか華道部(うちには書道部と剣道部もあった気がする)にでも入ろうかと思ったんだが却下された。

どうせ勉強で手が回らなくなるのは見えてたので適当にしてしまいたかったのに、バット切り捨てられて途方に暮れた時今の部に入った。
何故か、と言われると微妙だし将棋が好きかと聞かれるとそれはない。でもゲームが好きで気があって、絶対私を傷つける人がいなくて。それで十分だった。
負けず嫌いな私ならそこそこ練習するだろうと私も分かってた。実際部の真ん中くらいまではのしあがった。部長と副部長は桁違いで三人くらいは幽霊部員だったのでまぁそんなもんかなと思った。その部にも今は行けてないのだけれど。

文芸部があればあの時私は迷いなく入っただろうな、と思うけど今そうかと聞かれればどうだろうか。
文字を書くのは好きだ、でも私は書く人より読む人でそれを長く繰り返したから知ってる。私は未熟で知識が全然足りなくて、才能があるかさえ判断出来ない。
何より自信が無いんだと思う、自分の物語に。ここに書いたことはないけど、私の周りには才能で溢れた超人ばっかだったから。喋ることとか、笑わせる事とか、きっとその人たちに勝てることは幾つかあるだろうけど、それは私がしたかったことじゃなくて。本当はもっといくつもあった筈のしたいことって、気づいたらその子達の方が上手くて。まぁでも、長所があるだけましだよね。って思ってお笑い芸人に方向転換したのは割と自分でも賢かったと思う(殴)

さて、駄文はここまで。今日も頑張るよ


P.S.
とある紫と赤の恋人達に。

なんで俺を挟んでお前ら行為してるの?!!!怖い!!!!普通に怖い!!!俺どういうポジションなの?!!しかもどっちも攻めかよ!!!受けは?!!しかもなんでそんな喘いでるの?!!!!!俺はいったい何なの?!!!!
後ネクタイで手足縛ろうなんてマフィアのボスに対して腕力の認識甘すぎじゃない?

後、必死に攻めようとする赤と赤が可愛いので私はそろそろ死にます。