2019.3.11

久しぶりの更新になる。
忙しいのもあってここの所更新が途絶えていたが、一応TwitterとLINEには若干生息中。今日は何の話をしようか、取り敢えずはバイトが決まった。今週は卒業式もある。お小遣い、とかそういうのでは無く。正当に、後ろめたい気持ちもないお金で恋人に何かを買ってあげられるのは幸せだと思う。
来月は大して入ってこないけど再来月は恐らくちゃんと入ってくるので夏に向けて貯金もしたいなと思っている。どうせ、夏休みなんてないんだから(常に休み)何時でも出かけられるんだけど、夏は行きたいところが沢山あるから。

それから、リア友のLINEを見て病み気味なのも少し気にしてはいる。
自分の精神管理ができていないと他人に迷惑をかける(特に恋人)ので、最近は気にしている。とはいえ、相も変わらず面倒ごとに首を突っ込んでしばかれる事も多々ある。少しくらいなら、いいか、と思ってしまうので救いようもない。

キャスをまた頻繁に開きたいなぁと思っている。これを読んでる人がいるのか居ないのか、いたとしてどれぐらいいるのかもよく分からないが興味があればきて欲しい。まぁ、ちょっと暇な時にやってるし行くかー。程度でいい。
続けていってるから行かなきゃとか、来ないと何か思われるかなとか、そんなの気にしないでいい。したい事があるとか、今日は気分じゃないとか、全然それだけで「行けない事情」だと思う。だから暇な時気が向いたら来る。話したい事話して落ちる。で、いい。それが嫌なら私だってキャスなんてしない。それでいい。

SNSはロクでもないし、人は会ってみないと全然分からない。それでも惚れることはあるし、ブロックもする。くだらないなぁと思っていたInstagramを最近始めたら意外とハマった。好きなものを好きと言って好きな物だけを見る。それは案外自分にはあっていたのかもしれない。
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幸せ

「幸せの定義など君が決めればいいさ」

   

生理で多分かなり機嫌が悪い。とても機嫌が悪い。それとは別にずっと続いていた不安や不満、未練や後悔等が押し寄せて負の感情に呑まれている。幸せな筈だ、発展途上国の難民と較べた「生きているだけで幸せ」ではない。例えば街ゆく人や顔見知りのあの子と比べても私は幸せな筈だ。否、幸せだ。それでもすごく辛くなる。逃げたくなるし苦しくなるし、頭が痛い。でも、私の小さな悩みを誰かに言う勇気もない。「そんなことで。」「貴方は恵まれてるのに」「私なんて。」と言われるのが怖いから。

怒りとは、きっと期待ゆえに抱く感情だ。失望も、絶望も。

でも、私は期待していたい。何もかもに期待せずに突然訪れた小さな幸せを噛み締めてハッピーになるのは、とても賢い生き方だ。

だけど、私は彼女だけには期待をしていたい。私の想像し得ない答えを何時も彼女は教えてくれる。私の、知らない世界を見ている。彼女にだけは期待していたい、でも彼女に怒りたくない。怒りっぽいのはもはや癖だ、早く直そう……

興味ない人のTwitterをフォローしてる程達観してないし、態々好きでもないもののインスタを見る程暇でもないし、連絡網と称して話もしない人のLINEが友達リストに入ってるのを見過ごすのもどうかなって思ってて。

正直、きっと相手もさほど興味もないんだろうなって思う相手をLINEの友達リスト、に入れておきたくなくて。

なんか、狡い気がして。ブロックすると酷い、って言う人居るけど好きでも嫌いでもないくらい興味無い相手のLINEに自分のプロフィールが変わったら友達欄の上の方に表示されてるって思うと普通にゾッとするし、好きでも嫌いでもなくて共通の知り合いとの話題にもあがらなくなったような人のLINEを何時か使うから、で入れておくのが何となく悪い気がして。

それ以前に、友達リストに友達以外が入っているのを許せないのもあるけど。

友達だと思っていない、とまで言いたかった訳じゃない。けど、友達と言えるくらい親しい仲かと言うとそうでも無いし。何か嬉しい事や辛い事があった時、相手にどう思われるかと言う不安に襲われるような相手を友達と呼んでいいのかも怪しい気がした。

どうでもいい人のTwitterはいちいち確認しない。

どうでもいいインスタもフォローしない。

どうでもいい人はLINEの友達リストに入らない。

皆どうでも良くない。

どうでもいいのに聞かなければいけない話も、しなければいけない事も、見なければいけないものも、付き合わなければいけない人も現実世界に腐るほど居る。ボタン一つで切り離せる世界でそんな面倒な事したくない。

私の事に興味を持って、私の事大事にしてくれて、私に少なからず好意があるなら、私だってどうでも良くなんてない。

多分、私に対して好意も敬意も悪意も殺意も興味もない。

寧ろ、この広いネットの海で沢山の人達と出逢うのにそれを私に抱いてくれる事自体が奇跡みたいな事だなと思うし、何も思わなくても仕方ないけど。

 

私のブロックリストには公式LINEしかいない。

非公開リストには誰もいない。

友達リストにも、ブロックリストにも、非公開リストにも入らなくなった人は居る。

友達リストに、今年の年賀状を送ってきた人は全然居る。

 

結局そういう事なのだ。

私の隣で眠る、彼女はすっかり安心しきった顔だ。

本当に、馬鹿馬鹿しいと思うかも知れない。

間違いなく気の迷いなのだろう。知ってる。でもきっと恋ってそんな物だ。

「彼女に出会う為に産まれてきたのかも知れない」

なんて、思った。

本当に、嗚呼愛おしい。

 

 

後悔

もっときちんと悩んでおけば良かった。

本当は自分の話ばかりされる事より、自分の話をする君は決まって「自分ばっか話してごめん」って謝る癖に私の話をしたら機嫌が悪くなるのが嫌なんだと怒鳴ってやれば良かった。

私の忠告を聞かずに、自分勝手に怒って「お前は分かってない」「お前は幸せだから」なんて言う癖に後から後から「やっぱりこうだ」と自分で結論を出す君が嫌いだと言ってやりたかった。

数ヶ月経ったら皆なにもなかったかの様に普通に話すのが気持ち悪いと言えばよかった。

「私と渚くんとっちが好きなの?!」にはずっとずーっと「渚くん。」と即答してやればよかった。

私の大事なものの話を聞いてくれない癖に自分の好きなものの話ばかりをする君は大嫌い。

「さーちゃんは気楽でいいよね」って笑ったお前はもっと嫌い。

そしてその次の日にも普通に話しかけて「さーちゃんは頭お花畑だから。」なんて言う癖に、今更「一緒に四人で住みたいよね!」とか抜かした事を私は許さない。早く死ねばいいのに嘘吐きと吐き捨てて全部忘れてやればよかった。そんなこと出来ないのは知ってる。

「年下なんだから経験が少ないから敬語を使え」とか「養われてるんだから言う事を聞け」とか「苦労が足りない」とかもう、ほっといてくれませんか。お前に何がわかるんだよって、そんなに嫌なら殺すなり縁切るなりしてって泣き叫んてやればよかった。

もう、今更過ぎる後悔ばかりなんだけど私の中では何一つ解決してなかった。

 

変に物分りがいい子になろうとしたから、自分で自分の首を絞めた。誰に言われた訳でも無い。怒られたり愚図られたり嫌われるのが怖かっただけ。私が悪いかもしれないって不安に勝てなかっただけ。

 

どうせ分かってくれないって思いながら気にしてるから、やっぱり分かって欲しいんだと思う。……嗚呼、もう、だめだな、ねます、大人しくしてよ。

子守唄

いろんな感情や思考が飛び交って頭がグラグラと揺れる中、彼女の大丈夫だよだけが全てを打ち消すように響いていた。

 

えへへへ、へへ、

一緒にサラダを作って、食べて。

イチャイチャして、すっかり疲れてしまった彼女は私の隣で現在進行形で夢の中だ。

私はと言うと、にやにやしながら歌を歌って彼女の頭をたまに撫でて満足してきたのでブログを書くことにした。

暫く前にFさんの「他人のSNSなんていい所を切り集めたようなものだから、それを見て苦しくなるのも劣等感を感じるのも当たり前だ」という言葉を聞いた。結局みんな強がりで、プライドが高いから表面的に幸せなふりをするだけで本当はそんなことないのかも知れないと思う。

それは絶望のような、又は安心感のようなもので。

 

何が書きたいのかと思うけど、多分特段これといって何も無くて。

今日は彼女と旅行に行って鰻が食べたい、って話。彼女が眠い頭で「鰻は好きでもない」って言うもんだから、蟹でもいいとか言った。結局二人っきりでいたいだけ。

 

8月

8月が終わった。

 

部屋の片付けをした。そこそこ綺麗になって、たくさんの思い出のものを捨てた。

本も捨てた。ここ2、3年で捨てられない病はかなり良くなった。

今では私捨てる様勧めてきた母が「これ、捨てるの?」と聞くくらいにはそこそこ割り切れるようになったのだ。

例えばカーキのコート。さほど高くもなかった気がするが、三四千円はした記憶がある。

まぁ私の財布からは出ていないのだが(クズ)

とても気に入って四五年は使っていた。外面は綺麗ではあるのだが内側の茶色い生地がそろそろダメになってるなぁとは感じていた。

妹が使っていない白いコートを譲ってくれたのもあって踏ん切りが着いたのか捨てる事にした。

それから、自己啓発系(人生の名言本)や片付け法、その他(上手な恋愛等)の本を捨てた。

人生も恋愛も結局自分なりの答えを出すしかなく、愛されるにはその人に愛される方法が必要だということ。万人受けすれば、恋愛が成就する訳では無いということ。私は私の生き方を探さなければならないこと、私は誰より私自身を理解できていないことを痛感したから。

使う事のなかった玩具(かるた等)や昔のプリント(勉強記録や賞状)なども捨てた。

正直言うと、昔頑張って登校してた時「やりたくない」と思いながらいやいやなっていた記憶ばかりで。残しておきたくはない。

「やりたい!」と思ってやった事やそう出なく、やっていて楽しかったこととは違うのだ。

 

さて、そろそろお風呂に入る……埃っぽい所ばかりにいたせいでかなりしんどい、頭がグラグラしてしまう、あ、そう言えばこの前の泊まりで彼女がなくしたらしいヘアゴムが見つかった。後で確認を取らなければ……。