戯言

私が死にたい理由について考えて見た。

考える事でも無いと思うし、如何したって死にたい事に代わりは無いのだけれども。

 

1つは、間違い無く幸せからだろう。

何時この幸せが終わるのかに怯えて居る。

幸せを感じられなく成る日が怖い、そんな自分が怖い、慣れが怖い。幸せな環境は何時だって有る。

要は、其れ等に気付なるだけなんだ。

 

もう1つは純粋な絶望だろう。

此の先への絶望、自分の将来性の無さの絶望、社会に絶望、自分の能力に絶望、生き辛さに絶望。如何しようも無い事実が受け入れられない。人が不幸に成るのが許せない。

何で世界は平等じゃないのだろう。

何で世界は平和じゃないのだろう。そんな、子供の我儘見たいな、融通の利かない駄々捏ね。

 

理解していても、前に進めない。

太宰さんはこの酸化する世界、なんて形容したけど、酸化してるのは他ならぬ私だと思う。そして、きっとこの世界から醒める事は無い。地獄も天国も三途の川も無い。神も仏も居ない。そんな物に縋る位ならドラえもんの方が幾分か現実的な気さえ、今はする。

 

其れを口にしても何も変わらない事を私は知って居る。酸化する私を止められる事も無い。其れでも、私はきっと太宰さんのように生き永らえて仕舞うだろう。だから、其れで良いと、今は思う。少なくとも可愛い相棒が私の隣に座っている間は。