ありがとう

誰だって悪いことはしない。違うのは価値観だけだ、と言うような言葉を聞いた気がする。恐らくはキノの旅だろう。
それ故に少し前の世代のアニメに良く有りげな悪役は現実にはいない。何時だって主人公も敵役もみんな自分の信念や目的を果たすためにそこにいて、自分の価値観やものさしで測っては敵対するだけでしかないのだ。

悪い事善い事。若しくは正解不正解。
そして最善と最悪、恐らく人生はバランスなのだと思う正解とは、不正解とは人生がゼロであったなら100とマイナス100にカウントされる。けれども人生にはプラスかワードやマイナスカードや更に言えばフィールドトラップもある。場合によりけり必ずプラス100が言い訳でもマイナス100が悪い訳でも無いのだと思う。
状況に応じて100点ではなく90点を狙ってハードルを下げることも大事だということだ。カードだってその時手札にあるかもわからない。双六のように人生はどの数を出せばどれだけ損して得して何てのが分かるようなイージーモードでも無い。先が何も見えないのに、自分で少しは先読みや察知という意味の分からないステータスをあげて漸く少しでもそれが見える。見えた所で間違う時もある。バランスなのだ、結局。幸せすぎる人生は100点だろうが、其れは完璧すぎる余り0点だ。幸せしかない人生はどれだけ幸せであるかにも気づけない。

私が不完全でそれが人間らしくて人間としては100点と評したあの時の彼女はそういう意味だったのかもしれない。知識と能力と目的のバランスが取れている完璧な人間だ、と、そう言いたかったのかもしれない。
完璧な人間というのは完璧な生物つまりは能力知識目的全てが100点ということだろうがそんなのは有り得ない。それは人間ではない。だから完璧な人間という言葉は可笑しい。
でも、人間の理想形、完成形が無いわけじゃないと思う。それが限りなく100点に近くそしてバランスの取れた人間という事だろう。
難しく考える事は無い、要はどれだけ幸せを感じられるかという問題だ。どれだけ自分を哀れまず人を哀れまず、自分の能力に見合った分をこなし欠点から目を背けられるかという話だ。
勿論、こんなのは他人に評される様なものでは無いのだろうが、傍目にあの人綺麗だなと感じるようにあの人凄いなと感じても罰は当たらないだろうかと思っている。決して綺麗な人を見かけてもそれに一一劣等感を感じ落ち込む人間は居なくはなくとも少ない様に、私もそんな人間を見かけても自分がそれよりもバランスが取れていない事を気に病んだりはしない。
ただ、憧れなだけだ。
そう言えば昨日買ったFさんの本には書いてあった「憧れや尊敬を含んだ愛は滅多に消えない」その通りだった、だから本当に、ありがとうと言いたかった。