2018.3.17

あの人の言葉は何時も現実的で正論で、優しい。
だから、そんなあの人と話すのが嫌だった。全て見透かされたような目で見られるのが嫌だった。
昔、言われた事があった。
「世間はさ、今さーちゃんが思ってるよりもっと優しいよ」
知らない振りをしていた、見ない振りをしていた。だって、私が全てだと思っていた世界は全部私の世界で、私が作り出したもので、本当はもっと世界が優しいなんて、信じられなかった。
結局あの人の言う通り周りなんて関係なかった、そんなの分かってる…分かってるけど無理なんだ。無理だと逃げてるだけ、そうなのかもしれない。あの人の言葉はいつだって正しい。でも、私がどれだけ頑張っても私は認められないし許せない。少しでもそんな自分を忘れて、無理に体を動かして、頑張った気になっても気がついたらまた私の前に立ち塞がる。
触らないで欲しかった、話しかけないで欲しかった、頑張るのがしんどかった、認めるのがしんどかった。
幼少期、父親から否定されたり父方の家庭内で嘲笑された経験から不安定な性格にはなっていたけどやっぱり根本は私のせいなのかもしれない。ああ、この考え方もいけないのか?もう分からない。あの人は私に「癖づければ1つでもやれたと思えるようになる」と言ったが、私はそう思えていても途中から本当にできているのか疑い出してしまうのだ。分からないかもしれないが不安に駆られるのだ言い表せない、不安に襲われて頭の中に本当に?自分の都合のいいように解釈してない?お前のせいなんじゃない?って元々自分がないから言われた言葉をずっと覚えてそれが脳内から離れない自覚はある。でもそれを誰かに理解されると思えない。こんな性格もダメなのか、
理解して欲しい、と思えていないのだろうか。多分違う。理解して欲しいけど、理解されると信じないのだろう。
私は何も出来ない。正確にはトイレへ行けるし、お風呂も湧いてたら入れる。少し歩く程度なら苦じゃないし、タッチパネルを少し操作するのもそんなに苦じゃない。でも、Twitterの返信とか、ゲームのログインとかもしんどくて出来ない時が続く。正直、そういうレベルで動けない。何をしてるってJAZZ系プレイリストをリピート再生して寝たり、ぼーっとしながら単語の意味を調べたり、思考実験も最近はあまり見ていなかった。
頑張れば動けると思う人もいるかもしれない。でもその頑張るというのがどれほどのレベルか、きっとわからないと思う。私も頑張ればできるんじゃないか?と思って何度か買い物に出てみたりした。帰ってきて倒れ込むように眠って起きたら14時間くらいたっていた。
Twitterの返信も長くしていると自分が相手を不快にさせてしまう発言をしていないか不安になって徐々に病んでしまう。

例えば私がペットボトルのキャップを開けようとしてもキャップは些とも回らない。本気で力を入れているし私も開くだろうと思っている。でも回らない。傍から見たら何してんだこいつ、と思うだろう。でも回らないんだ、本気なのに。
…サボりだと思われるのだろう。それが嫌だった。でも出来なかった。そして私も周りと同様それを認められなかった。

昔はそれでも頑張ってなにかしようとして自傷したり、ストレスになって体調を崩した。
それを辞めて、休むようにしても認められないでちょくちょくしんどくなる。
本当は普通になりたい。普通に過ごして、普通に笑って、普通に自分を認めてやりたい。でも認められないじゃないか、こんなんじゃ…。