2018.3.14

懐疑論について。
私は常々自分が懐疑主義者である、と公言している。懐疑とは自分が分かっていることを疑う事である。自分が分かっているのに疑う必要性が見いだせないと思ったそこの貴方、正常だ。
私が懐疑をし出したのは恐らくもう何年も前の話だ。
そして、懐疑する事に意味を感じなくなって、それでも疑わずにはいられなくなったのが去年頃だろう。私は明日が来る事を知っている。でも明日が来ないかもしれないと疑う時がある。私は人を殺してはいけないと知っている。でも人を殺してはいけないのかと疑う。何故って?それは私が知っていて知らないからだ。
突き詰めて考えれば何故明日は来るのか?昨日は来たからか?一昨日も来たからか?なら明日も来る根拠はなんだ?その確証は?そもそも何故今日は来たのだ?そうやって疑い続ける。きっと明日は来るだろう。でも私は明日は来ないかもしれないと疑う。そういう事なのだ。疑い出したら止まらない。

さて、だから何だ?と言われると何も無いのだ。「そうはならないでくれ」とも「それを理解してくれ」とも言えないのだ。だって私は何を言えばいいのかさえ懐疑してしまうのだから。捻くれ者、社会不適合者、変人と懐疑主義者を叩く人々の言いたい事は良く分かる、でも懐疑主義者に懐疑する意味なんかを問うても意味が無いのだだ。それは懐疑主義者に関わらず、快楽主義者にも平和主義者にも刹那主義者にも、言えることだ。それが、彼等の生き様なのだ。




昨日、映画を見に行った。
⚠以下ネタバレ注意

文豪ストレイドッグスーLed Appleー予告編を見たが正直よくわからず、行くのをギリギリまで悩んでいたのだが入場者特典に番外編小説がつくと聞いて飛びついた。
その話の中心には「林檎」がある。林檎自殺、という単語を私は初めて聞いたのだがアラン・チューリングというイギリス人が生み出した自殺法らしい。
チューリングエニグマ暗号を解読した偉人らしい、エニグマ暗号といえば解読不可能と言われた世界2次大戦でドイツが使った暗号だ。私でさえ知る、かの有名な其れを解読したという、そんな偉人の名前は聞いたことが無かったのだが、どうやらそれはチューリングの死に関連していた、
チューリングはゲイだったらしい。1950年頃まだゲイ差別が激しい時代だった。そしてとある事件を切っ掛けにゲイである事が公になり、女性ホルモン注射を打つことで執行猶予となったそうだ。女性ホルモンを打ったところで性欲に関連しないことも、性対象に関連しない事も今では誰もが知る常識だがその頃のイギリスでは女性ホルモンを打つことで禁欲されると信じていたらしい。
そしてその後、自宅でチューリングは自殺を図った。青酸カリのべっとりついた齧り掛けの林檎がそばに落ちていたそうだ。
チューリングは白雪姫が好きだったそうだ。好きだった白雪姫に自分を見立てて自殺したのではないか、という噂が立ち林檎自殺というものが出来た。

映画内では「林檎自殺と云う物を知っているかい?」という太宰治の問から始まるそれ。その問に織田作は「嗚呼、シンデレラか」と返す。そして太宰治は笑い出すのだ。「毒林檎で死んだのはシンデレラでは無く、白雪姫だ」と訂正した後こう続ける「そして白雪姫も自殺ではなく他殺だ、殺されたのだ」と。
そして更にこう続く「…嗚呼、でもそうか、若しかしたら白雪姫は自殺かもしれない」「何故だ?」「白雪姫は毒林檎だとわかっていて食べたんだ。」「如何して?」「絶望だよ。母親に毒林檎を差し出された絶望。否、それだけじゃない。もっと違う…絶望…そうだと面白いなぁ」

チューリングが白雪姫を連想させる[林檎自殺]を選んだ理由は「私は自殺ではなく他殺されたのだ」と言いたかったのかもしれない。厳しいゲイ差別社会に、絶望して、殺されたのだ、と。

因みに映画内では太宰治が織田作に影響されてマフィアを裏切る所から物語が語られていて、終盤では毒で殺された太宰治中原中也が殴って助けるシーンがある。太宰治はその際「白雪姫を起こすには少し乱暴過ぎるね」と言っている。
物語の元凶となった主人公中島敦と、幼少期の中島敦を探す為だけに死しても尚異能力者を探し続けた澁澤龍彦は強くチューリングを連想させる。
チューリングが捕まる原因となった事件で彼は1人の少年と一夜を過ごしているのだ。そして物語の最後澁澤龍彦は「そうか、君が僕を救済する天使か」と呟き死んで逝く。恐らく多くの腐女子太宰治中原中也の関係を妄想する中、澁澤龍彦中島敦に抱いていた恋情を思考する私に誰か同人誌恵んで。

それでは今日は刺繍をがまだ残っているのでそれをして寝ようかな。今日は何故か少し疲れたや……。それではお休み、葉緑体