2018.3.2

嫌いなものの話したので好きなものの話もします。
他人の痛みが分からない事を理解している人が好きです。自分で全てが解決できる訳無いと理解しながらそれでも頑張る人が好きです。変わらないものが好きです。確実なものが好きです。かっこいい人が好きです。可愛い女の子が好きです。面白いものが好きです。辛い事から少しでも隔離してくれるものが好きです。物語が好きです。シンプルなものが好きです。カップラーメンが好きです。干渉されない事が好きです。偶に食べるビターチョコが好きです。冬の寒い日の街灯の下で飲むほっとレモンが好きです。文字に起こせないくらい曖昧だった感情とも言える記憶を思い出せる歌や香りや風景が好きです。周りに少し変わっていると言われる位の人が好きです。

好きなものだけを集めて生きて行きたいと思う。本当は怖かったものも嫌いだったものも、怖かったことを。嫌いだったこと忘れて、幸せになれたらと思う。
そんなものは不可能な事を理解してても必死に求める自分は何方かと言えば嫌いだ。
でも、好きだとか嫌いだとかをはっきりと言える自分は割と好きだ。
そうやって矛盾を抱えて生きている。みゆさんに、愛されたいなら愛される自分に変わる努力をすべきだと指摘された。愛される自分に変わる努力、何てものをしてどうするんだろうと思った。これは努力をしない言い訳に感じられるかもしれないが、愛され様と努力する事の意味の無さは私自身がみゆさんより知っている。愛されるが為に性格をねじ曲げて自分さえ欺いて、それで何の意味があるって言うんだ。虚しくなるだけだ、愛されたとしても長くは続かないし、もしそれで永く付き合えたならそれは愛される努力をした事はきっかけに過ぎず、その努力を感じた相手が自分の本質を見ようとしてくれたお陰だ。
努力する事が悪い事なんて思ってないけど、恋愛関係で愛される努力をする意味が分からなかった。
愛される時は何の努力をしなくてもありのままの自分を愛して貰えるし、愛されない時は努力しても何しても無理、無理、無理。必死に努力してもウザがられるか、いい様に使われるだけ。若しかしたらこの考え方は間違ってるのかもしれないけど、私は今までの経験から、少なくとも今はまだこの考え方しか出来なかった。
別に今は愛されたいとか考えていない、正確には恋愛関係ではなく精神的に来ていて正直考える余裕すらない。けど、もう少しましな精神状態になった時またこの壁にぶち当たるのだろうと内心気づいてはいる。
かるびに餌をやって、腰が痛くなってきたのでもう一眠りしようかと思う。
おやすみなさい