悪意

前に下書きしたブログのデータが消えたので復活は諦めた。

さて、久し振りの更新になる。

あれから色々あって也のログアウトと本垢の削除を決めた。

如何にも罪悪感と自己嫌悪に塗れている。人を嫌いになって、自己嫌悪。人を恨んで、自己嫌悪。人とまでは言わずとも人の行動にいちいち負の感情を抱く自分に嫌気がさして最近本気でSNSから離れたい。
離れてもひとりが寂しくてすぐ帰ってきてしまうのは目に見えているのだ。何せ人と関わる以外にしたい事も無いのだ。否、SNSから離れたいのだから人と関わるのすら怖いのだろうが。

朱楼を辞めるに当たって何人かから部屋に突撃された。うち1人と話していると突然泣き出され慌てた。如何したのか尋ねると「消えて欲しくない」と。しかし、誰に何と言われ用が浮上出来ないものは出来ないのだ、結局背後で繋がる形で落ち着いた。

私は昔から誰に言われる訳でもなく、自身の感情を殺してきた節がある。それは恐怖からだろう。「駄目だ」「嫌だ」「無理だ」そういう、否定的なものが怖かった。それは自分の弱さだと分かっているのだが、今でもそういう所があったりする。

駄目なら次!無理なら此れは?嫌なら次から辞める!と言う切替がなんせ出来ない奴だった。今でもそうだ。特に妹はそれが上手だったから私より欲しいものを手に入れて、私より愛されて、可愛がられた様に思う。
それも、羨ましかったのだろう。

それに加えかなりの鈍感だったから何が悪くて凄く怒られたのかも分からず、やる事を辞めて行った。今なら別の要因だったと気付けたかもしれないが、昔は無理だった。何かを欲しがってはいけないのか、駄々をこねてはいけないのか、泣いてはいけないのか、早くついて行かないといけないのか、一人でいたいと思ってはいけないのか。
若しかしたらそれは昔は確かにそうだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。今となっては私には分からない事だ。

しかし、その癖はかなり尾をひいている様に思う。
例えば小学生時代勉強の事しか食事の場で聞かれないものだから食事が嫌いになってしまった。
同じ部屋にいると怒られる可能性が高いから部屋に引き篭ってしまった。部屋に引き篭もっても怒られるから外に出るようになってしまった。

それを逃げと父は言った。そうなのかも知れない。今はそんなことも無い。父は食事の場でも勉強の話以外もしてくれるし、部屋にいても怒りはしない。だから私は安心して家にいられる。
幸せになったものだ。

…それでも家を出ていきたいと思ってしまうのは私が全部悪いのだろうな。

今でも、機嫌が悪い父さんの近くにいるのは嫌だ。正直怖いし、しんどい、昔ほど暴れることもないのかもしれないが、やっぱりトラウマ的なところはあるのだろうか?

何度もこの話を書くのはこの話がまだ完結しておらず私の中にある悩みが消えないからなのだろう。
その答えは出ていて、その答えを知りながら隠し続ける私は卑怯者だと分かっているから自己嫌悪する。それでも正直に話せないから本当に卑怯者だ。

話はここまでにしておく。ゲーム垢(?)でカップラーメンのレビューを書くことにしたので興味がある人はどうぞ。