願いと不安と祈りと問い

今日は私の話をしよう。何時だって私の話だが今日は完璧主義者についてだ。
私は自分を完璧主義者と言うが正直自分でも擬な自覚はある。私は全てを完璧に、と言うよりは完璧にするか、完璧にしないか。それしかないのだ。こだわりが強い、と言うには少し行き過ぎていて完璧主義者と言うには少し足りない気もする。


完璧主義とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。 

Wikipedia 引用

まぁ大体あっているが「万全を期すために努力し」此処は違う時がある。要するに此の完璧主義者が常に100を目指す思想ならば私は100か0を目指す思想だと言えるだろう
今日知ったのだがそういう思想を【白黒思想】と呼ぶらしい。
そしてその白黒思想は発達障害の人に多く見られるらしい。

以下白黒思想の人に見られる特徴

・根拠のない決めつけ

・極端な一般化(全部がそうにちがいないと思い込む)

・すべき思考(こうすべきだという自分なりの制限で自分を責める)

・心のフィルター(自分オリジナルのサングラス(基準)で見ている)

・拡大解釈と過小評価

・自己関連付け(なんでも自分のせいで・・と考えがち)

・マイナス化思考

・感情的決め付け(事実より自分の感情に基づいて判断してしまう)

・結論への飛躍(一部分だけに着目して、短絡的に結論付けてしまう)

・自分で実現してしまう予言(否定的予測を立て、予測通り失敗してしまう)

うーん、割と当てはまる気が…?
だから何って訳でもないけど完璧主義というよりはこっちに近い気がした、と言うだけなんだが…。

最近周りの色んな人が人間的に成長していて本気で焦る。正直、自分が置いていかれる事に必死で何かに縋らなければみたいな所がある気がする。
薬とか自傷とか、そうじゃなくともなにかに依存する質である事は分かってる。
それが無害なものなら構わないのだが有害なものの方が多い。そんなものに縋っても、何も得るものは無いのだけどそれでも縋りたいと思ってしまうのは人間的な弱さだろうか?
やばい、やばい、それだけが募る。したい事は沢山あるのに、だ。
私の周りには昔から何かが凄く特化している人が沢山いたから劣等感はかなりあると思う。
親友とか、私の周りの友達、と言われたリア友は基本的にそう言うのを気にしてた。
笑ってそれを誤魔化して、好きな事が無くても特化してる人達と同じくらい幸せになれると思いたかったところはある。それもまた、依存なのだろう。

だらだらと書いてしまった。結局覚悟を決めなければいけないのだ。覚悟を決めようと思う、弱くて、弱くて、脆くて、人が信じられなくて自分も信じられなくて、未来が怖くて過去や現状に縋って、其の癖過去だって本当は怖い私は誰より半端者だ。自分が嫌いで仕方ない。人間も嫌いで仕方ない。でも、未来は嫌いじゃない。普通に好きなものがあって、寝る所があって、食べる物があって、仲間がいて、友達がいる。
普通に、幸せだ。

嗚呼、これは客観視であって私の感じ方とは異なるのだけれど。

明日は在学校へ行く日だ。気が重いが、行ってこようと思う。きちんと蹴りもつけて。