2018.1.16

さて、今日は寝た。遅刻するまで眠って、もものに会いに行った。しかしなんせ朝から腹が痛くて上手く足も動かないので仕方なくカラオケにでも行くか、という話になった(元々は市内でぶらぶらするかという話だった)
話してる間も、歌ってる間も、常に罪悪感に押しつぶされそうでそれなのに笑ってる自分が気持ち悪くて泣きそうになった。
ストレス発散に大声を出してみたが結局変わらなかった。強いて言うならquestionを歌い出した辺りで、少し心が軽くなった気もする。渚くんパワーだろうか。
そう言えば、もものが描く絵は凄く紅葉と似てる。だから紅葉に重ねてしまうのか、でも内面的には私に似てる気もする。元々紅葉と私は良く似ていたのでどうとも言えない。
もものは私に人生が楽しそうだね、と言っていた。そうなのかも知れない、本当は人より何倍も幸せで羨ましがられる筈の状況にいるのかもしれない。なのに何でこんなに苦しいんだろうか。

帰り際SNSにひずみんから連絡が来ていた。
【無理ならバッサリ切ってくれ】と書いてあって意味がわからなくてどうしたのか尋ねてみた。
好きな歌い手のライブが大阪で開催されるらしく現地案内を頼まれたのだ。
まぁ私は構わなかったし、開催時間も15時からで全然大丈夫そうだったのでOKした。
その後も凄く嬉しそうに話をしているひずみんを見て少しだけ嬉しくなった。
幸せそうにしてる人を見て、私が幸せにしたわけじゃないんだろうけど、でも、嬉しくなった。


私は間違っているのかもしれない。
それでも明日はやってきて、私は生きなければいけなくて、そんなのが嫌で、誰かに話したいけど迷惑でしかない気がして、一番大切な人に一番言えない話で、そう思うと辛い。
疲れている実感はあるのに身体が勝手に動く、休まなければとは思っている、でももう動かないと馬鹿なことでも起こしそうで。
正直大阪の中古屋とアニメイトのほぼ全てを回ったが推しは見当たりそうにない。やることが無くなってしまった。暗殺教室全盛期は漫画の新刊も発売日当日に買ってジャンプも毎週読んでグッズも予約したりしてイベントも楽しかったのに。もともと飽き性な質だけど唯一渚君だけは今でも大好きだ。
本当に愛してる。五年続いた友情は一生モノというが愛の場合は何年ならそれが言えるのだろう?
でもそれすら無くなったら毎日私は渚くんを眺める事しか出来なくなる。外に出る理由も金を稼ぐ理由もなくなる日は来る。そしてきっと渚君を眺めるのさえに慣れてしまった時自分自身のいる意味がなくなるのが怖い、必死にジャンルを渡ってるが正直必死に叫んで好きなふりをしても全然ダメ、正直そんなに好きでもない。否、好きだけど私はそのグッズを買う時にその価値に見合ってるか確認してしまう。渚君は違う、渚くんの缶バッチは10000円でも買う、高いのは分かってる。でも買わずにはいられない。多分やばいのだろう、でもそれが生き甲斐に対するものな気がする。でも生き甲斐なく生きてる人間は割といるので正直生き甲斐がなくても生きれるのは知ってる。でもそれは楽しくないししんどいと思う、それは嫌だ。だから怖い。きっとその程度の悩みなのだ。

最近気づいたことがある。触れられない二次キャラは完璧だが不確かで曖昧で完璧故に飽きやすく、消えやすい。
人間は不完全だから常に進化し続けて常に其処に在る事が分かる。それが人間と二次キャラの差だと思う。

二次元に行きたい。完璧で其処に在ることが確定している存在に触れたい。それが死だというのなら喜んで受け入れたのに……。辛い。

明日も生きなきゃいけない(爆笑)