2017.12.24

デュラララの折原臨也というキャラクターを見た時、私の母は『神だ』と言った。
折原臨也は人間が大好きで人間の絶望を眺めたり観察するのが好きで、直接手を加えずに遠くから人間の行動を観察するのが好きらしい。正直CV神谷浩史で、かなり頭のやばいやつに思った。神様はきっと私の事が好きなのだと思う、私に限らずだが人と少し違う反応をして行動をとる人間が好きで、その所謂変人を見つけては虐めてくる。運を悪く、なんて信じない私は神に好かれてしまったのだ。
頭がおかしいと思うはずだ、きっと神は私がこんなブログを書いているのを見てさぞ腹が痛くなっているだろう。
嫌いだ、全部嫌いだ、こんなクソみたいな世界を作ったやつも、私も、この世界も。全部壊れてしまえばそれでいいと思う。戦争なんて意味がない、世界を壊して人間も滅びないと変わらない。
死にたいだなんて言ったって死ねないのなら言う必要は無いように、私の夢物語を語る必要なんてないのだけど、死は必ず来るけど夢物語は語らなければいつか私の記憶からも消えてしまうような気がして、それは今の私が死ぬ事だと思うと悲しくなってしまったからだ。
本日クリスマスイブ、私は幸せなはずだったのに。些細な事で、イラついてしまって、当たりはせずとも、怒りを感じてしまったことにかなりのショックを受けた、私は父の二の舞になるのではないかと思うと怖い。誰にも言わず私も語らないことでそんな私は消えるはずだったのに、胸の痛みは私を解放してくれない。強引に体を動かせば、さらに苦しめられてしまう。
エスキリストの誕生日、私はイエスキリストは神であれど人間に違いなかったと思っている。私が憎むのは神ではなく創造者なのだ。