2017.12.3

分からないこと

体調記録
常用薬 服用量
ルナベル 1錠
レクサプロ 1錠
ロキソニン 1錠
ムコスタ 1錠
日記

たまに、自分が分からなくなる。違うな…感情とかそういうものが分からなくなる。誰かや何かを好きだという自分の気持ちがまるで自分の中にあるものではない気がしてくる。嫌いというのもそうだ。
大切だとか、傷つけたくないだとか、逆に傷つけたいだとかそう言う、欲のようなものは分かるのに。好きとはなんだろうかと思ってしまうのだ。
好きでも傷つけたくなるのに、好きだなんて良く分からなくて。
上手く生きていたい、なんて願うのに上手に生きる方法なんてある気はしなくて。そんな時他人に目をやってみる。当たり前の様に同じ電車に乗って当たり前のように学校へ通う学生に、社会人に。友達と楽しげに喋る女性に。バカ騒ぎしながら帰る男子生徒に。
上手に生きている人がいたとして、その生き方を私がしたとして、私は上手に生きられるだろうか。きっと、私は私の生き方を探さなきゃいけなくて、そんなのは分かってた。でも、それが怖かった。人と違う生き方が、怖かった。

人間はみんな同じであるという考え方がある。それは赤子の時はみんな同じであり、大人になるにつれ経験などが邪魔をし本来の姿(赤子)を殺してしまっているという意見だ。
しかし私の言いたいことはそうではない。ように、優しい人間だとか怒りっぽい人間だとか、そんなレッテルに意味はなく。優しいと思うのはその人間の思い込みであり何方の人間も同じ分の優しさと怒りっぽさを持っているのではないか?という意見だ。まぁ根本まで行くと前者の意見と一致するわけだが、前者と決定的に違うのは後者の意見は大人になった姿(経験などが邪魔している状態)でも同じ人間なのではないか、という事だ。

なら、好きとか嫌いなどという言葉はなんの意味をなすのだろうか。
嫌いな人間を好きなることなんて容易い事ではないか?ならなぜ、好きや嫌いなどという感情が生まれるのか。それはきっと、私達は無意識に相手にレッテルを貼っているからだ。第二者と第三者を判別し、違うものと認識する事で好きだとか嫌いだとかいう感情が生まれている。

頭が痛くなってきた。こうやって、中途半端に好奇心と考える脳があるからしんどくなる。真実を捉えるほどの脳も無いのに。全てを暴けるほどの脳があれば私は…なんて、いつになれば私はこの生温い川から抜け出せるのだろう。いつからこんなに弱くなってしまったのだろう。もっと強く強く、何かを守れるように生きようと思ったのに。
なのにいつの間にかその【何か】さえ失って、何もかもが石ころのようにみえてきた。きっと失ってから気がつくんだ。私は、大馬鹿者だ。