2017.11.30

怖い。私は常怯えている、逃げ切られない事実から。
軽蔑、憎悪、無関心。其れ等から逃れようとすれば好意、尊敬、関心。其れ等にも怯えなくてはならない。何故なら、片方が存在していられるのは片方があるからだから。

体調記録
常用薬 服用量
ルナベル 1錠
レクサプロ 1錠
ロキソニン 1錠
ムコスタ 1錠
日記

昔、在学校のカウンセリングを受けた事がある。そこで、スクールカウンセラーさんと一時間のお話をして帰り際に一言言われた「もう、ここ来なくても大丈夫そうだね。頑張って。」
たった1時間で私の十数年分の苦しみが分かって溜まるものかと思った。“頑張って”なんて無責任を押し付けて、来なくても大丈夫だと突き放して。
診断を下されてからの事だ。「障害に見えない」と言われる事がある。それはきっと片手じゃ足りないくらい。
昔、普通に見える私はサボりだと言われた。両親にも、親戚にも、先生にも友達にも他人にも。そして私だってそうだと疑いはしなかった。
出来もしない事を何年もやろうとして自分はダメな人間だと自己嫌悪して、そうやって過ごしてきたのに今更、優しく慰められても笑えないし、私が傷ついた分や誰かに殴れたり怒られたり馬鹿にされた事実を訂正されたり、私の記憶が消えるわけでもない。
これからは、そういう事は無いのだ。そう前向きに捉えて過ごしてきたけど、時々自分を失うとこんなふうに考えてしまう。それは私の中でどこか、そういう意識があるんだと思う。
こんな感じで、私自身何処か納得してなかったり悲しかったり苦しかったりしたことを無意識に自分を無理矢理納得させてやり過ごしている。
それが、メルトダウンを起こしているのか、そこまで分かりはしないけど爆発した時そう思えなくなることは確かだと思う。でも心の中でそんな風に考えても意味無いとか、今更どうしようも出来ないからとかそういう、考えがあって。そんな自身の矛盾に苦しめられてしまう。