2017.11.10

普通

体調記録
常用薬 服用量
ルナベル 1錠

起床時間17時頃
およそ睡眠時間12時間

日記

私は、此処でたくさんの思い出を得た。偶に学校に行かなくていいなと言われるけど、私はその分学校での友人との思い出はほとんどないし青春という青春もしたことが無い。それなら今からでも、と誰かは言ってくれたが今からじゃ遅すぎた。
不登校児にしか分からないだろうが不登校になったら不登校児というレッテルを誰もに貼られる。
先生にも、同級生にも、同級生の親にも。

学校に行っても話す相手もいないし話しかけてもグループに入れる可能性は低いし何より私が学校にいられない理由は長期に渡る友好関係を保てない事。多数の人間がいる場所に滞在出来ない事。情緒不安定、アスペルガー症候群。色々な要因があってその全ては私。

だから今は幸せだけどたまに来る同級生からのDMや時線に流れてくる制服姿の同級生を見ると凄く羨ましくなる。
羨ましくて、羨ましくて…私もそこにいたかった、なんて思ってしまう。
学校なんてぐちゃぐちゃして柵が沢山あって、毎日同じ事の繰り返し、そんなのは分かっている。それでも、今を逃したらもう中学時代は帰ってこない事を再び身にしみてまた悲しくなる。そんな事を考えたって無理なことは知っているのに。
今まで何度も学校への登校復帰を試みた。でも無理だった。入学して期末を受けたすぐ後薬の大量服用で1ヶ月入院して、友人関係出遅れた。それでも全部取り戻そうと必死に頑張ったんだけどやっぱり疎外感があって、でもそれは前からあって、中学に上がる前から私は友達と話していると感じてて、その時に気がついた「嗚呼、これは友達じゃなく私がネックなんだ」と。
そこからは自己嫌悪だった。ネットでは恋仲と喧嘩の日々でリアルでは友達とうまく話せなくて、次第にノート取り切れなくなって。自己嫌悪自己嫌悪。

そのうちに学校へ行くのが苦しくなって、夏休みが開ける頃には学校への登校が困難になっていた。

何度も学校へ行こうと制服を着るのに家を出ようとすると足が竦むし、通学路の半分位まできて動けなくなった事も多々ある。
学校へ無事に行けても昼頃には体調を崩して早退。

担任は凄く寄り添ってくれたが保健の先生や学年主任の風当たりは厳しく、38.4あった時も一時間経って上がってなかったら教室に戻れと言われたこともある。昼になると体温が上がるからこれくらいなら大丈夫、だそうだ。
その割に他の生徒には優しいのでサボっていると思われていたのかもしれない。
廊下を歩くだけで同級生からは後ろ指を指され「不登校」「見たことない」「何組の」と聞こえてくるのにも耐えられなかったのだろう。
人の舐め回すような視線が嫌で頭が狂いそうだった。今となればそこまで気にもしないのかもしれないがその時は凄く怖かったのだ。

その後も担任の教師が凄く私に寄り添ってくれたから放課後の登校とか定期的な登校を繰り返していたけど今年担任が変わってそれも無くなった。

でも、その分今の友人達を得られて私は幸せだ。
それでも偶に言われる学校行かなくていいな、は少し胸に刺さるのだ。私だって最初はカバンを外に放り投げられて学校行けっ!って家から締め出されたりしたものだ。不登校を始めてからも家出の居心地はいつも異常に悪くて父さんのあたりも厳しかった。
それでも、行けない理由をきちんと納得してもらって医師からの診断書も降りてそれでやっと今ここにいるのになのに何だか、同級生の様にただ私が狡してるだけと言われているようで悲しくなったのだ。

よく、何で学校行かなくなったの?と聞かれる。
精神的に鬱状態になったから、虐められたから、確かにきっかけはそれ。

でも、私が未だに学校に行けないのは私自身が人と話すのが苦手て人と関わるのが苦手で人といると情緒不安定になるからと言うのが理由なんだ。
人の目が怖くなって自分の行いに自信が持てなくなって、周りに馴染めなくて泳げなくなる。それが怖い。
周りから見れば私は普通なんだろう、でも私は周りとは違う、何かが違うのが分かる、何がとかよくはっきり言えないけどなにか違ってそれが怖かった。
そうやって怯えること自体が、周りと違うことなのかもしれないしもっと別のことなのかもしれない。私には、分からなかった。

それを心配し過ぎだとか気にしすぎだとか、唯私が薬の大量摂取をしてやっと私が辛いことに気がついた人に言われても心には響かなかった。
初めて顔を合わせた医師にそんな事を言われても心には響かなかった。
私が辛いことにも気が付かなかった人間が、何故私の悩みをその場ですぐに違うと断言出来るのだろう。

私はすぐにその後アスペルガー症候群と診断された。
何となく分かっていた結果だった。自分でも人と違うことを感じていた。
そうかもなぁ、そうだろうなぁ、ああやっぱり?みたいな。
初めてアスペルガー症候群と診断された人やその親は発狂したり泣きまくる人もいるらしいが私は人と違うと、文字として診断されて嬉しかった。
やっと私は普通から開放されるのだと。病気の人間が病気じゃないと言われたら誰だってその人間に普通を押し付けてみんなと同じ様に接するだろう。
私はそうやって生きてきた。発達障害は発見が困難で私ももっと昔は性格の差、癖、位の認識だった、でも徐々に自分が人とは違うことに気がついて苦しくなっだのだ。普通に見えるから普通が出来ないと怒られてそれなのに普通にできなくて。診断結果を受けて泣き叫ぶ様な人には分からないかもしれない。普通になれない事に泣くのなんてとうの昔にしたのだ。私は普通になれないと何度も泣いたのだ。普通になれないなら普通じゃないことを証明するしかない。それが今目の前にある事実ならこれ以上に嬉しいことはないだろうと思った。

普通に見えるのだろう、周りからは。
私は普通に笑って普通に過ごしている様に。