2017.11.7

私が生きる理由について

体調記録
常用薬 服用量
ルナベル 1錠

起床時間15時
およそ睡眠時間2時間

精神記録

酷く悪い。緊張による腹痛と精神的苦痛による頭痛目眩。

日記

私は父親が嫌いだ。今も昔も。恐怖憎悪、嫌悪また、同情。
父親に抱けた感情なんてそんなものだ。
人を怯えさせ降伏させ、脅す事でしか関われないような悲しい人間だ。

私は父親と言葉を交わせば毎回死にたいや今すぐ消えたいと思うのだ。それは嫌味であれ罵倒あれ、感謝であれ、誘いであれ、挨拶であれ。

問題点は私にあるのだと思う。

父親に嫌味を言われ罵倒されても、死にたいと思わぬ人間は沢山いるだろうに、
感謝され勧誘され挨拶されても、消えたいと思わぬ人間は過半数を占めるだろうに

私は声を聞けば父親の昔のことがフラッシュバックし、色んな言葉を言われているような錯覚に陥る。
そうじゃなくとも何かを誘われたり褒められれば、その分、後であの時は出来ていたのに、と嫌味を言われるのではないか、また何か揉めるのではないか、喧嘩になるのではないか、と酷く妄想の世界に入り込み不安に駆られる。

それは私だけのせいではなく父親のせいでもあると私は思っている。
過去、父親はそうしてきたから。私はそれを覚えているから。

しかし上記にも書いた通り、それでも死にたいと思わぬ人間はたくさんいるだろう。だから私は私のせいで苦しんでいる事に気がついている。

どんな慰めを受けようがそれは変わらぬ事実であり父親を非難する事で解決はしない。だから、私がこの苦しみから開放されるためには私が変わるしかないけれど私は悲しかったことや苦しかったことを思い出してしまうし、更に妄想もやめられない。そして其れ等に怯えずにもいられないのだ。
だから私は死にたい。この苦しみから逃れたいしこの苦しみから逃れる為には私が消えるしかない。

そして、私の体にはそんな父親の血の血が流れ、私はそんな父親を見て生きてきた。少なからず父親に似ている自覚はある。
父親も嫌いだけど、私は私も嫌いだ

もう何かが壊れるような音に怯え、両親達の怒鳴り声に怯え、母親の泣き声に怯え、私を呼ぶ声に怯え。大事なものを隠して、笑って生きることが嫌になった。

私は普通にご飯を食べて、嫌なら嫌だと言って、意見を言うことを許されたかった。
そうじゃないな、せめて、ご飯も意見も言わせなくていいから、私に干渉しないで、私に怒らないで私に何も言わないで欲しかったのだ。
そしてもっと願うなら私を生まないで欲しかった。
「お前なんて要らない」「お前なんて生まなければよかった」
何度も繰り返し聞こえる言葉達、嗚呼それならなんで、産んだのでしょう。それならなんで私はここにいるのでしょうね

私だって好きでここにいないから。聞こえる沢山の罵倒、悪口、陰口、文句。なら、なんで私を殺してくれないの。

言いたい事は沢山あって、それでももう何も聞きたくない。父親の声も罵倒も意見も聞きたくなかった。聞いてしまったら私が全部悪いのだと思ってしまうから。
だから本当は父親が全部正しくて私が全て悪いのかもしれない。でももう傷つきたくなかった。私から傷つきに行かなくとも、父親から傷つけに来てくれるのだから。

そして、怒り散らし私達を殴った次の日は何も知らん顔をして笑ってる。
自分が悪いなんて微塵も思っていない父親には同情するしか無かった。

父親が変わるまで、とは母は父親に何が悪いのかを説き続ける。それを無駄だとかいうつもりは無いが、私は、父親が変わっても変われる気がしないのだ。
もう、幼少期についた傷やトラウマは拭えないし私の憎しみや恐怖は心に深く根を張り最早手遅れだ。

何故こんな症状が定期的に現れるかというのならきっとそれは今も父親が変わっていないからもあるのだろうけどそれ以上に私が変われないせいだと思う。

こんな事をいえば又ネットの影響だと言われるのだろうか。
何時までそうやって現実逃避しているのだろう、私が苦しいのも死にたいのも全て貴方のせいなのに。むしろ父親から離れ仮想空間で誰かと話していると一時でも悲しい事を忘れられるお陰で私は笑えるのに。そんな事を言ってもどうせ伝わらないのかな、否、父親に分かってなんて欲しくないのか。
嬉しい事も悲しい事も苦しい事も好きな事も嫌いな事も、否定されたくないから伝えたくない。面倒臭いし、何より私の事を何一つ知られたくないのだ。

話が脱線しまくったけど、私が生きてる理由は死ねないから。その一言に尽きる。
例えば、私が死ねない要因が全て解決し、後一歩足を前進させれば死ねる状況にたったのなら、私は死ぬ。
きっとそれだけの事なのだ。
死んだ後誰かを悲しませたくないから、死んだ後、葬式や後処理で迷惑をかけたくないから、死ぬのが怖いから、誰かの記憶に残りたくないから。
沢山あるけど、誰からの記憶も消えて私が死んでも誰も悲しまなくて誰かが葬式を挙げなくても良くて死ぬ時にも誰かの迷惑にもならくて、私も死ぬのが怖くないのなら。そんなことが現実に起きるなら……なんて、所詮夢物語。

嗚呼、死にたい