2017.10.26

今日から体調記録を付けていこうとと思う。三日坊主になるかもしれないがしないよりはマシだろう。

体調記録
症状 服用薬 服用個数
腰痛
目眩
常用薬 服用量
マグナミット錠

14:54頃起床

日記


ノート古い教科書の整理をしていると卒業アルバムと卒業文集が出てきた。何と無く開いてみたページには偶然にも私の親友の文が綴られていた。その文を目にした時、私は1人の恋人を思い出した。とても親友と彼女は似ている気がした。
何処と無く人と毛色が違って、そんな自分に自信を持っている彼女達に魅せられて、一時は互いにピタリと引っ付くけれど、いづれ私の元を彼女達は去っていく。
2人とも同じ様な境遇で生まれそして苦しんで、曲がりなりにも自己を信じた人間なのだと思う。
実力派で努力派で負けず嫌いで猫のように気まぐれで正義感が強いくせにゲスで、人にあまり理解されない性格で私が言うことを聞くのが嬉しそうにする。褒めてるのか貶してるのか自分でもわからないけど愛していたのは事実だと思う。
形は違えど彼女達を私は愛していた。私は彼女達が変わったのか私が変わったのか、将又何も変わっていないのか。何故私の元から彼女達は去ったのか知りはしない。きっと理由を聞いて答えを貰ってもそれは答えにならない気がする。
それは何かはっきりと分かる物事の理由では無くその物事はきっかけに過ぎないように思うのだ。

馬鹿な程に純粋で負けず嫌いだから大人や周りの理不尽に抵抗しようと力と結果をつけようとして、意味の無いことに気がついて絶望した。
親友はそれを暴力と信仰で解決しようとし、彼女はそれを諦めと自己完結で解決しようとした。
何方も間違いだとは思わない。この世界は腐っているし、私はこの世界を見てそうなってしまった彼女等はむしろ被害者だと思う。

でも世論は甘くないしきっと彼女達はそれに飲まれて更に歪んで苦しんで上手く生きる方法を探すのだろう

この泥水の中で上手く、上手く、生きるという事は最も汚れている事の証明になる気がして私は凄く寂しくなった。
きっとそれは事実であり真実でもあるのだけれどそれから目を背けたいと思ってしまう私はやはりいるのだ。
そして私はそれの最たるもので、その汚れた泥水の下の下の下の方に沈んだ重く汚れて浮くことの出来ない生態だと思う。汚れ過ぎてもう浮くことは出来ないんだと、そう思う。それが悲しいとは思わない、けど下から上を眺めて綺麗な彼女等を見ていると、少し寂しくはなるのだ。


哲学者アラン・ワッツを御存知だろうか。
ワッツの言葉の一つにこのようなものがある「泥水を綺麗にするのなら、放って置くことが一番だ。」

さて、こんな話をした後でいうことでもないのだが、今日は菫ちゃんとクリスマスプレゼントについて話をしていた。
今年も何人かに渡す事にしている、ネ友さん4人とリア友さん4人。全員に別々の物を渡す予定だが予算と時間次第では被る可能性も考えてはいるのだ。
そして肝心のその中身なのだが、実はカップヌードルを自分で作れる施設が電車で一時間半程度の府内にあるらしく行ってみようと思う。勿論自己のアイデンティティというかイメージだから、というのも強いがなんせ好奇心をそそられる話だったのだ。
因みに菫ちゃんには猫のなにかを送ろうと思っている。
誰かへのプレゼントの話をしていると菫ちゃんはよく「え、逆に俺がこれ欲しい〜」というので大体の嗜好は把握しているつもりなのだが、逆にストレートゾーンが広すぎてどれがとストライクなのか分からない時もある。
市内を少し歩き回ってアクセサリー店と雑貨店を何軒か回ればいいものも見つかるかもしれないと思うのでそうしようと思う。幸いにも時間は沢山あるのでそろそろ年賀状の構図と言葉と送る相手を決めておきたい。