2017.10.10

さて……こんな所に書くのもどうかとは思うがまぁ吐き出す場所もなければ読む人も限られるのでいいかと思う。

私は幼い頃から周りに必要とされる事の無い子だった。泣き喚く私は祖母や父にとっては迷惑でしかなく、それの面倒を見るのは母だった。
まだ言葉も発しない私は母の手を患ったが、そんな風に私の面倒を見てくれた母には感謝している。

物心ついた頃、私はかなりのひねくれ者になっていた。

泣き喚くと黙れと言われる、だから声を押し殺した。理由を話せと言われたら話せば言い訳だと言われた。だから黙ってみたら何も喋れないのかその頭は飾りかと言われ、カチンと来た私は返事もしなくなった。すると口を切り落とそうかと言われた。
もうどうにでもなれと思った。恐らく父にも意図する何かがありきっと私にも非はあったのだろうが、残念ながらそれを思い出す事は困難で今になって思い出すのは父の暴言ばかりだ。

まるで北風と太陽だと私は思う

昔マンションに住んでた頃最上階の一番端の部屋だった。
一番端の部屋だけはすごくベランダが広くて、そこに倉庫がある。
床は冷たいし暗いし本当に倉庫なのだけれど叱られるとそこに良く閉じ込められたものだ。
再び言うが私にも多分非はあったのだ。何故閉じ込められたのかなんて良く覚えてもないが。
一度だけそこに指を挟まれたままドアを閉められた事がある泣き叫んだのだが母は何時もの、閉じ込められて泣いてると判断し助けてくれなかった。
かなり痛かった、いや、まじで。

話が脱線した、実は私は余りマンションに住んでた頃の記憶がないのだが何時も母は夜泣きする私を連れて踏切の近くまで(かなり遠い)散歩してくれた。
母は私を叱ったが、それこそ鬼のように叱ってなんだよくそっとか内心悪態ついたり父より怖くない分昔はかなり喧嘩をしたのだ。
いや今だってするけどさ。

母は良く私に「あれ」とか「それ」とかを使った。なんだよそれ、あれってなんだよ分かんねーよ…と思って母に尋ねてみるとこういうのだ「少しは考えて見なさい、指を指してる方向をきちんと見てみなさい」
方向にあるものと母がしている事を照らし合わせてみれば大体の事が分かる。そうやって訓練された私は無自覚にこそあど言葉を覚え、無自覚に発達障害の子のリハビリをしていた。

父は昔からそれが良くわからないらしく母に「あれとって!」っと言われると頭にはてなマークが浮かぶか昔なんかは「あれってなんやねん!!わかり易く説明しろ」と喧嘩に発展する。面倒である。母は父に何も頼まなくなった。

それから先程から私がボロクソ言ってる父についてだが、父はかなり力が強く暴走すると恐ろしい。根は真面目でありかなりのいい子ちゃんだ。
ついでにいうと貧乏性で時間短縮や効率的な事が大好きで、その反対が大嫌いだ。あと美味しいものとゲームも好きだ。勿論嫌いなものはその反対だ。不味いものと負けるゲームは大嫌いだ。

父の暴走記録でもつけてやろうかって程度にはつい最近まで荒れまくっていた。
マンションに住んでた頃なんかは窓から下の広場(何も無い野球などをするただの敷地)に卵を投げつけていた気がする。理由は母さんが消費期限が切れるまで使えなかったから。広場にはずっと止まってる車があって(※本当は止めちゃいけない)その車の真上で卵が割れたこともある。
ちなみに牛乳も同じだ。
父さんには三人の兄弟がおり下に妹弟妹。いったい何をしたのか私は生まれてもいない頃の話なので知らないが、一つ下の妹が父と喧嘩しタンスの方へ蹴り飛ばされたのだがそのタンスは10数センチの窪みができたそうな。
他にも家のドア(玄関)の破壊とか、家のドアを(私の部屋)の破壊とか、机が半分に割れたこともあった。亀裂が入って二発目を食らわした時に綺麗に半分にパッカーン!!ってね(笑)
俺の大事なプリンターも壊されたことがあったなぁ、思い出すだけでイライラする。プリンターは何を思ったのかリビングの机で壊したので天板の表に二つ大きなくぼみができ、それを裏がして使っていたんだがその後も何らかくだらない理由でまた、窪みができたので私たちが使うテーブルには穴が空いてる。
買い替える金なんてないのだ。プリンターは貯金貯めてでも買うって私が言ったら父が買ってくれた、めっちゃ感謝してオーラが出ててた。感謝はしてる、でもお前だからな?壊したの。父じゃないのでそんなことは言わないが。
パソコンの画面に味噌汁掛けたこともあった。食事中に喧嘩することが耐えなかったので、茶碗が割れるのも箸が割れるのも日常茶飯事だ。
それから茶碗は割れにくく安全なプラスチック製だし、箸は絶対に折れそうにない物にして木製のものを避けている。
昔椅子の角で殴られた事もあって頭から血がでたのも思い出した。
かなり痛かった。でもなんて言うかな、何度も殴られると殴られる瞬間より殴られる前の方が恐怖。心もしんどいから出来たらもう殴って解決して、って昔思ったなぁ。

喧嘩した後父さんは私になんで怒られてるのか覚えてるか?って聞くんだ。知らねーよもう忘れたわ。恐怖で。
そんな事は口が裂けても言えなくて内心そう思いながらでも怖くて黙ってる私を父はまた殴る。そんなのが日常だった。

それに大事なものは壊すし、好きな物は否定されるしで、父の事が大嫌いだった。
まあ、そんな事はここに書くとキリはないんだけど。

父さんは少し正義感が強いのでずるっこいことが許せない。正確には不正になる事が許せない。ルールの中での多少の手を加えた効率を上げる方法なら父さんは許す。むしろそれが好きなくらいだ。

どういう意味かというと、例えば牛乳とパンを皆で30個配らないといけないとする。
一つも配らないで誰かに押し付けている奴。此奴は父さんの粛清対象である。
一度に二つのパンと牛乳を配る奴。此奴は父さん。

何度も言う様に私は父さんが大嫌いなので父さんの性格について全部は把握しきれていない。しかし、非があったにしろ子供の記憶に残るのはこんな事実だということを父は自覚すべきだと思う。
私は何度か包丁を持って枕元に立ったこともあるのだ。父から包丁を向けられた事もあるが。
それから祖母と母以外の身内には容赦がない。母に対しても容赦はあまり無い。やばい、えげつない。力がある上に暴走したらそれ止める理性なんてゼロだ。下手したら殺されてしまう。何度「ああ、今日死ぬかもしれない」と思った事か数え切れない。
でも残念ながら私は生きているし、父も生きている。至って健康体である。

しかしつい最近の父さんはかなりまともになった。
むしろ私の方が異常かもしれない。
優しく穏やかになったし、ある程度の許容をしてくれる。
私達家族はそれにかなり助けられ、妹や私のひねくれも多少マシになった気もする。
この前私がパニックを起こした時もティッシュを持ってきてくれたのは父だった。しかし、しかしだ。そもそもパニックが起きた時思い出すのは父の暴言ばかりで父の声を聞くと「お前は要らない」だの「何を頑張ってるんだ」だの、頭が割れそうな言葉達が過ぎるのだ
それが辛くて辛くてでも今の父はそんな事はなくて。勿論横暴な事もあるけどそれも減ったしかなり我慢強くなって、加減も覚えて、頑張ってると私も分かっているから、昔の事を掘り出すことなんてしたくないのだが、何せ「昔お前は返事を全然しなかった!」諸々私の過去を掘り返すという事を数年前にしているので私が掘り返さないなんて言うのもかなり大人にならないと難しく。
父は自分が言った言葉のせいで何年も後にこのように影響していて可哀想な人である。
私はそう思って昨日も笑ってティッシュを受け取った。なんで苦しい思いをしている私がこんな気を使わなきゃいけないのだ、とは思うけど、「うるさい黙れ」と怒鳴られるより何倍もマシである。
だから、「どっかいってよ、声聞きたくないっ!」なんて言った日にはまた私の頭から血が流れることだろう。

こんな父の元で育って私はかなり捻くれ者になったと上記で触れたが、詳しく説明するなら極度の人見知り(話しかけるのを躊躇って一年間を過ごす程度)になり、屁理屈と極論を考察しながら脳内で因果性について考える子供になっていた。
皆が楽しくポケモンの話をしている間、私がどの道をゆけば父が父親になることは無かったのかを考えてみたりした。
無邪気に笑う皆の顔を見ていいなぁなんて思ってた頃は生ぬるかった。
何時の間にか皆毎日が楽しそうなのにこうもボロ雑巾の様に這いずくばって生きてる気がして人が笑顔なのも気に食わなくなってイライラするようになったのだ。これは父になるルートだと慌てて笑顔を心がける癖をつけた
それからうちの家庭はは英才教育でもなんでもないが勉強に厳しく夜中の3時くらいまでずっと平仮名の練習をしていた。汚かったら母が消してまた書いて。それを繰り返して、酷い時はノートに5ページ程度。今となればその程度簡単なのだが、昔はすごくそれが困難だったのだ。サボるとシバかれる。寝るとシバかれる。教科書丸めて叩かれる。やばい。
唯一の楽しみは寝る事と休み時間に本を読むことである。
だから、朝母さんが起こしに来ると私は酷く怒ったそうな、でも残念ながら私にその記憶はない。無意識で怒ってるのだ。
休み時間に私にぶつかってきて本を読むのを妨害するやつはずっと内心呪ってた。そいつが転けたら内心めっちゃ笑ってた。多分文字にするなら「ざまぁwwww」って感じ。ひねくれ過ぎた。
その後も親友には自分を否定されるし、初恋は綺麗に振られるしで散々でその後もいじめにあい酷く傷心(?)していたけれど私は死にたいとは思わなかったのはある意味父のお陰なのでは、と思い出した。
父のお陰で辛いことに対する体制がかなりついた気がするのだ。

何が言いたいかと言うと…なんだろうか、ただその苦しさを共有したかっただけかも知れないし、父の様にはならないでくれ、と言いたかったのかもしれないし(多分これはない)人は変われると言いたかったのかもしれない。私はこうやって出来上がったんだよ、と言いたかったのかも知れないし。だから些細な事では壊れないよと言いたいのかもしれない。
その辺は好きに受け取ってくれていいしどれも間違いではない気がした。

私は父を憎んでいるが父は間違ってはいない。少し過激派なだけだ。
でも嫌いだ。悪だとは思わない。でも嫌いだ。








































































ただ、その努力だけは認めようと思う、変わるってすごく難しい事は私が一番知ってるから。だからいづれ私は父を許せる日が来るかもしれない。
…関係はやり直せるのである。離れない限り。何度でも。私はそう信じている。


さぁ、御早う世界