幸せなロボット

感情や経験なんてものは、計り知れない情報を持っていて其れを言語だけから理解しようなんて到底無理な話なのである。

昔の私のツイートにはこうある

「不幸に慣れすぎて雑巾のように働くのが当たり前だと思う様になった人間や
幸せに慣れすぎて少しの不幸にも耐えられなくて自滅した人間。
どちらも見たことがある
幸せだとさ、感覚が麻痺するんだと思う
慣れって怖いね
後者を経験した上で幸せを認識しながら幸せにならないと日常に薄れた毎日が幸せだということにすら気づけないらしい
それって可哀想ね」

さてここで問題だ
幸せ、とは感情であると仮定しよう。
幸せという感情だけを私から抜き取り記憶も感情もない知能だけのあるロボットに入れてしまえば辛さを知らないロボットは幸せを認識できるのだろうか、またそれはどういうものなのだろうか。


まぁこんな話はどうでもよくて。
このブログを読む人なんて限られてると思うけど、もし匿名で聞きたいこととか言いたい事とか何かあったらお題箱にどうぞ。
別に今日食べたカップラーメンの味でもいいです、こんな下らない問題の答えでもいいです。
一応毎日確認していますので、返事はします、多分。
答えが要らない場合はそう書いて頂けると有難いです。