2017.10.7 その②

劣等感。

私の周りの友達は何かにすごく優れた子ばかりだった
歌もイラストもすごく上手で何より国語が凄く出来る友達がいた。家は金持ちで成績も大体平均の上くらい。

その子が私の昔の親友の幼馴染みだった。
親友がその子にもらったお土産の話をする度劣等感に襲われたし、親友自体もクラスの中心で勉強も常にトップでイラストは独創的だけど絵画としてはすごく評価されて確か全国コンクールの賞もとった。

家が近かった友達は愛想があって顔が広く仲が悪い子が学年に一人もいなくて、その子が頼んだら大抵の事は大体の子が引き受けてくれる、そんなまとめ役だった、確か勉強はそこそこだけど凄く雑学の知識があった。

フォロワー数がすべてだとは言わないけど中学に上がってから仲良くなった女の子は一ヶ月でフォロワー増やしタグ使わずにフォロワーを1500人まで増やした。

ネットに入ってからもその劣等感は消えない。
私は何も出来ない。私は、なにも誇れない。
何よりそんな自信の無い自分が嫌いで、恥ずかしく、その癖プライドは高くて、でも前よりは弱いと言えるだけのプライドは捨てたのかも。イラストも2年半凄く真面目に本を漁ったり模写を繰り返して構図の勉強もしたけど駄目だった。
どうやっても周りに評価されなくて、周りの評価で決めてちゃいつまで経っても満足出来ないなんて知ってるのに。


親友に好きなものを否定された悔しさから始めた絵の練習も辞めていた。これ以上努力を笑われるのが辛くて、なにより自分だって上手くなってないことに気がついていたから。


勉強はしなきゃいけないからしてるけど得意だった音読の練習はやめた。
本当はね、読み聞かせとか大好きだった。
理由は音読テストの暗記で緊張でフリーズしてしまったから
昔から極度のあがり症で、本当に辛くて悲しくて悔しくて。凄く努力したのに、練習ではできたのに、って。
でも結局自分のせいなんだろう、忘れてしまった私のせいで、諦めたというのが結果だ。

書き師も一時やっていたけれど自分の台詞の陳腐さに辞めた。

小説だけが、忘れ去られた事実を吹き返し夢として具現化することが出来る、その言葉に背を押されて小説だけは今でも書いている。
類語辞典を買ったのもその為。唯一忘れられなかったそれをまだ、大事に持っていたくて、もう否定されたくなくて。



























このブログには山も谷もなく、未来より現在を、現在より過去を綴るものである
なぜなら、きっと私自身がそうであるからだろう。

最後に、少し未来について。
私は未来というものに絶望しているし、きっとこれからも何も変わらないと思っている。
同じ様に信じ、失望され、人は去ってそして私はまた誰かの隣へ。
そんな風になるんだろうな、そう思っている。

それを悪いとか悲しいとかは最近は思わない。何故なら今までだってそうであり、例外など一つも存在しないからである。
私にとっての人間関係とはそういうものである。
それでも私はいつか来るその別れを悲しみ必死に色んなものを投げ売り繋ぎ止めようとするのだろう。
そんなものは自己満足でタダの一時凌ぎの精神安定剤

何か道を踏み外す事もまた、踏み出すことも無いのだ。
前進も後退もしない。
否、もしかしたらもう道なんて踏み外しているのかもしれない。

傷ついて苦しんで泣き叫んで、それでももう何も変わらないと知った。
だけどそれは絶望ではない。
何が書きたいか、きっとよく分からないことだろう。

感情とは、表す術がない。
色にも、模様にも絵にも、文字にも表すことは困難であり、多少なりとも理解出来たとしてもそれの本質は誰にも分からない。
でも本人は分かる。だから私は文字を綴る。
それだけなのだ、ここまで読んでもらって申し訳ないが、この記事はきっと貴方にとって微塵の意味もなさない。だけど、読んでくれてありがとう

今日はまだヨーグルト以外のものを口にしていないからそろそろ何かを食べてくる。

それじゃあ、また明日