塩パン7個入り50円くらい。

ひまわりの花の本数にも意味があると知った。失くした本を買い直した。恋人の泣き声を聞いた。とてもとても恋しくなった、馬鹿みたいに彼女が好きだ。

塩パン7個入りの袋を50円で買う夢を見た。幸せな味がした。焼きそばもハムもミンチもちょっと気持ち悪かった。正露丸先生は偉大。眠いから寝た、恋しいから愛を囁いた。それ以上もそれ以下もない、死にたいなら死ぬべきだし生きたいなら生きるべきだし、死にたいから死ぬ事できっと何か変わる。

映画

家を1時に出て行った両親は6時前になって帰ってきた。
私が「何処へ行っていたの?」と問うて見ると「ひき肉を買ってきた」とだけ返された。それ以上の追求もしなかった。
劣等感は可愛い。そう、私の好きな小説家は言った。恋人は良く「劣等感の塊」と自分を形容するけれど、私の目には必死に人の評価を気にして、自分を繕って、足掻いて他人を卑下して、他者の所為にして見て。それでも自分に自信を持てないからやっぱり他人を卑下して生きてる様な友人の方が余程劣等感を抱いてる様に思えた。
前々から言っていた映画が公開されていた。気づかなかった、見に行きたいなと思った。行く気も湧いた。でも父親との約束を思い出して辞めた。勢いに任せて予約だけでも入れてやろうと思ったら大阪公演が終わっていた。盥が頭の上に二枚くらい落ちてきた気がした。自棄酒ならぬ、自棄ヤクルトを飲んでポップコーンを発見した。こいつを食べながらcitrusでも見てやろうかと思った。辞めた。

感情

ブログを何度か書こうとしたのだけれど何せ誰かに見られるのは明確だ。

それを誰かに見られたら、正確には誰、というのがあるのだけれど、それを見られるのが怖くて書くのを辞めていた。

私の言葉が誰を傷つけるのが怖かった。もっと言えば、傷つけて、嫌われるのが怖かったんだろうと思う。

私の中にある感情と、それから「常識」みたいなものが傷つけあっている。「常識」が、本当に常識であるかという議論は置いておく。正直あまり必要無い。本当にそうであれ無かれ、私はそれを常識としか認識出来ないからだ。

 

なので、ちょっと疲れた。

 

その詳細は置いておく、自分のせいかな、と誰かに思われる(この誰かは当人当人以外含む)のが怖くて書かない事で更に精神がすり減る感覚があったから書けないでいた。もう、別に思ってくれても構わない。

誰のせいだとかなんのせいだとか、理由をつけようと思えば幾らでも付けられるのだ。

ただ、この場合そんな事は無意味なだけで。

 

私は私の感情に鈍い。

何故怒ってるのか、怒ってるのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、分からない時がある。

家族に指摘されて、嗚呼私怒ってる?とやっと認識する程度な事も多い。

その場合勿論家族は何で怒ってるのか分からない。私も分からない。ただ、機嫌が悪い。

それは、今思えば昔からで誰かに何かを言われてから感情を押し殺したとかそんなのは無い。元々、そういう所が未発達なのだろう。

 

だから急にキレる。実はこれは急にキレてる訳ではなく、段階を踏んでイライラ度が上がっているのだ。それは誰か一人からのストレスな事は基本的に少ない。

自分のミスからの自己嫌悪や、フラッシュバック、それだけでなく何人かからの発言や行動によるストレス、板挟み、等の幾つかの要因が重なってキレる。

でも自分でもどれほどそれがストレスなのか、自分がどれほど苦しいのかが分からないからコントロールは出来ない。

只管ストレスを溜め込んでは一定数になるとキレるだけだ。

 

で、キレた。突然唐突に、真夜中恋人が寝た後にキレた。本当に唐突に。恋人に何かを言われたわけでも無いし、誰かと話していた訳でも無かったのに、色々な出来事や言葉が飛び交って何も考えられなくなって思考の渦に飲まれた。

助けて、と誰にも言わなかったのは誰かに言うのをプライドが許さなかったのではなく、如何助けて欲しいのか、何をして欲しいのか分から無かったからでもある。

その場で恋人に何も言わなかったのは、寝てるのを起こしては悪いというこれまた囚われた「常識」と、それからそんな自分を見られたくないと言う意地だろう。

まぁ結局その「常識」は助けて欲しいという感情とぶつかって私を更に苦しめるだけなのだけれど。

 

休みたい。如何休みたいのかもわからない。

それは甘えたいとイコールだろうか?

話しかけてほしくないとイコールだろうか?

寝て起きたいとイコールだろうか?

好きな事がしたいとイコールだろうか?

感情を顕にしたいとイコールだろうか?

 

分からない、ただ休息が欲しい。

でも大事なものを失うくらいなら、と言う気持ちが残っているからまだ私は何も出来ないかもしれない。人間辞めたい。

 

 

6月

私は6月が嫌いだ。何故嫌いか、如何して嫌いか。語れば長くなる、気候も嫌いだし気に食わないのだ。6という数字もあまり好きではない。

さて、そんな6月の日の話をしようか。

昨日はクレープ屋へ足を運んだ。純粋にクレープが食べたかったのも有るが、何より外に出るという行為をしたかった。

時期に体を鍛えよう鍛えようと思ってしばらく経つのに何も出来ていないのだ。

頼んだクレープは甘夏アイスキャラメル味。帰り道に腹を壊したのはアイスのせいだったのだろうか。良く分からない。

明日はやる事リストを作る。頑張る、片付けもする…頑張る。

恋人が頑張ってるから、私も……なんて。

いや、そんな事ないのかな。後押しされてるのはそうだけど恋人が居なくても恐らく周りに置いていかれる感覚が怖くて必死に頑張ろうと足掻くのは変わらない。

実はしばらく書きたかった事がある。然し睡魔が限界なのでもう寝る……御休みなさい…………。

2018.5.31

久し振りの更新となる。 最近はめっきり背後垢、也垢、LINEですら留守にしている日が続く。 お陰で誰にも気を使わずに済む分本当に楽だと思う。が、寂しくないと言えば嘘になる、私は自分の演ずる太宰治が大好きなのだ。でもまぁ、其れ以外は割と助かっているかも知れない。嗚呼、みゆさんとのゲームが出来ないのも寂しいかな、夏にAndroid版フォートナイトが実装されるという話を聞いた。その時、何より先に、みゆさんとプレイしたい、と思うくらいにはみゆさんとするゲームは楽しいのだ。 それから、みゆさんが少し心配なのもある、思いながら放置してる辺り何も言う資格はないのだろうけれど。 でも楽になっているのも事実で、少しずつ何かをする気力が出てきて居る。 今日はずっと取り替えようと思っていたネックレスとチョーカーの丸カンとアジャスターを替えた。それから最近は髪と肌のケアをなるべくする様にしている。元々女らしくない私だけれど、恋人が出来た時は特にそういうのに気を使い出す。 いや、出来てからじゃ意味ねぇだろ……作る為に自分磨けよ!と言うのは言われずともがな。然し、見せる相手も居ないのに頑張るのがしんどいのだ。モチベーション的に。綺麗な自分や丁寧でこまめな自分、に酔える程女の子していないのだ。 やっと気力が出てきたのだ、確かにそういう面では今みゆさんとゲームをしてしまったら、また自堕落な生活に戻ってしまうかも知れない。 まぁ、取り敢えず……マイペースに、頑張っているつもりだ。 明日からは日記とブログもきちんと更新していくつもりだ……頑張る。 それでは、明日は出掛ける予定もあるので早めに眠る。おやすみなさい。

Mermaid

ゆっくり前進したいと思い出した。

さて、アンティークシガーケースがとても好みで、別に煙草に大して興味も無い癖に欲しいななんて思ったのは今日の昼頃だろう。

きっと幸福な人間が死にたくない訳でも不幸だから死にたくなる訳でも無いのだろうと思う。

最近とても眠くなる。起きても眠い、寝ても眠い。眠い眠い眠い眠い眠い。

かるびに餌をあげて、水遣りをして、オークションとフリマアプリを開いてそしたらまた眠気に襲われて気づいたら夕方だ。もうTwitterを周回したりしなくて善い。誰に言われた訳でも無いけれど何となく周回していた其れを出禁と云う形で制限されて楽になったのは事実だ。

ただ、糸が切れた人形の様に布団の上から少しも動けないでいると自己嫌悪でちょっとしんどくなる。

今日は絶対やらなきゃいけないことを3つする。前進する。進まないと。

変えないと、如何にかしないと、足掻かないと…。

 

夏に、生きて彼女と花火が見たい。

戯言

私が死にたい理由について考えて見た。

考える事でも無いと思うし、如何したって死にたい事に代わりは無いのだけれども。

 

1つは、間違い無く幸せからだろう。

何時この幸せが終わるのかに怯えて居る。

幸せを感じられなく成る日が怖い、そんな自分が怖い、慣れが怖い。幸せな環境は何時だって有る。

要は、其れ等に気付なるだけなんだ。

 

もう1つは純粋な絶望だろう。

此の先への絶望、自分の将来性の無さの絶望、社会に絶望、自分の能力に絶望、生き辛さに絶望。如何しようも無い事実が受け入れられない。人が不幸に成るのが許せない。

何で世界は平等じゃないのだろう。

何で世界は平和じゃないのだろう。そんな、子供の我儘見たいな、融通の利かない駄々捏ね。

 

理解していても、前に進めない。

太宰さんはこの酸化する世界、なんて形容したけど、酸化してるのは他ならぬ私だと思う。そして、きっとこの世界から醒める事は無い。地獄も天国も三途の川も無い。神も仏も居ない。そんな物に縋る位ならドラえもんの方が幾分か現実的な気さえ、今はする。

 

其れを口にしても何も変わらない事を私は知って居る。酸化する私を止められる事も無い。其れでも、私はきっと太宰さんのように生き永らえて仕舞うだろう。だから、其れで良いと、今は思う。少なくとも可愛い相棒が私の隣に座っている間は。